似合っていた服が急に色褪せたら、

 図書館の返却カウンターへ数冊を差し出すと、その中の『50歳、おしゃれ元年』だけをスタッフが奥へ取り分けた。次の貸出し予約があるらしい。気になるお年頃、か。
 アラフィフ…若い頃の服がしっくりこなくなる、そしてまだクローゼットの一大整理を行う気力体力があるこの年頃に、自身のライフスタイルを見つめ直そうというのがこの本の趣旨だ。何年も着ていない服とのサヨナラの仕方と、これからの大人女性らしい、失敗しない服の選び方。
 その中に、はっとした記述がある。
 【服は人を輝かせ、やがて寿命がくる】
 服が最初持っているパワーを私達は吸い取り、素敵に見える。服はパワーをどんどん失っていく。そうしてある日、今まで似合っていた服が急に色あせて見えることがある。年ごとに僅かながら移ろっていくトレンドの袖の細さや襟開き、パンツ丈等と体型の変化に、ある時を境にして服は応じられなくなってしまう。これが服のパワーが尽きた時、寿命の時なのだ、と。
 私は手元のセーターを眺めた。買ったのは結婚間もなくだから29歳か、落ち着いた臙脂色のリブタートルで、ネックの縁に控えめな飾り編が施されている。幸い体型の変化もなく、気に入ってずっと着ていた。それが、数年前からしっくり来なくなった。体に添わないような。しかし毛玉が目立つとか毛糸が伸びているとか、目に見える傷みはないから、捨てるに忍びなかった。
 そうか寿命があるのだ、寿命だったのだ、そりゃそうだ20年も着れば。
 服の持つパワーという点でも思い当たる事があった。
 数年前に気が付いた事だが、量販店で格安で買った服は、数回袖を通したきり着なくなってしまう。なぜだろうと私なりに出したのが【素材の力と縫製などで関わる人の念】説だ。
 工場で大量生産される合成繊維はペラペラと薄ら寒い。海外の工場で安い賃金でミシンを走らせる職人さんの疲れた眼差し。服のポテンシャルは低く、尽きるのも早い。
 絹にはお蚕さんと養蚕家の情熱。木綿には土と太陽の温もり、雨の潤い。これを仕立てる織物、編み物、縫製などに人の手がどう加わるか。
 そんなことを思うようになって以来ハンドメイドのサイトを毎日チェックし、最近ではワンピースを自分で縫ってみようかと考え始めた。                  
 服だけではないんだろうな。ちょっと怖い気もする、何にでも念やパワーが宿っていると思うと、ね。いい関わりをしなくては。