アナタを上手に愛したい

 お弁当がいい感じに出来ると早朝の台所でひとりニヤついてしまう。
 夫は週に2、3回お弁当を持っていく。今日は重要な業務が控えていたので、夫の好物の炊込みご飯を朝から炊いて、おかずも美味しそうなのを用意できた。しかし昨日は考えがまとまらないまま台所に立ち、もたもたと作ったおかず数種のバランスがイマイチ。続いて急いで夫の朝食に、お弁当の残りのおかずも動員。そして、アッとなった。朝食べたものがお昼にそっくり入っている。これでは蓋を開けた時のワクワクは微塵もないではないか。
 私は元々家事が嫌いだ。父子家庭の長女だった私は、小学生の頃、家事の為に一緒に遊んでいた友達の輪から抜けて帰らねばならなかった。買い物に行き、夕飯を作る。料理が一番嫌いだった。それでも結婚後はほぼ専業主婦の私がするのは当然で妥当だろうと行ってきた。
 が、作った料理が美味しくないと凹む。これは結婚以来感じてきたことだ。その凹み具合が凄まじい。それこそもう人格を否定されたように滅入ってしまう。
 なぜこんなにも落ち込むのかと思っていたところ、料理研究家・土井善晴さんの『料理する意味』という論説文にこんなことが書かれていた。
 栄養を摂るだけならサプリや外食でもよい筈、そのまま食べられる食材にも手を加える、その意味は…❝調理は外部消化と言われるのですが、食べ物を柔らかくして噛みやすく、消化しやすくします。それによって、人間の顎や消化器は小さくなり、効率よく合理化したおかげで、余ったエネルギーで、脳を発達させ、また、「余暇」という動物にはない特別な時間を持ったのです。自由な時間を持った時、人間は何をしたのかと考えています。人間の命の働きが愛情である以上、人間は、自分以外の、人のためになることを、何かしたのだろうと思うのです。愛情をもって、家族が喜ぶことをする、時間ができたのです。
「料理することはすでに愛している。食べることはすでに愛されている」。余暇を持つことで、料理するという行為に、情緒的な潤いができたのです❞
 失敗すると凹むワケだ。料理することは人を愛することだった。