続 お弁当の思い出

 あれあれ、思い返してると心の奥の方の物憂さを連れて立ち上がってくる。
「お弁当って良い記憶がないなぁ、面倒だったのよね」
 中学は給食ではなくお弁当を、父子家庭だった私は自分で作らなけらばならなかった。ただでさえ家事が嫌いなのに毎朝毎朝だから当然おかずは手抜きになるし。
「お袋も、一度凄いお弁当だったことがあるよ」と夫が語ったところによると、1つは白いご飯が入ったお弁当箱と、もう1つにはハンバーグとミートボール、どちらもレトルトらしいのだけが入っていたとか。
「それはなかなかのものだね。その2つは形は違えど同じ物だし、…お義母さん寝坊したか余程しんどかったのかな」
「蓋を開けた時はびっくりしたけど別に、俺、おかずの不満とか言わないんだ、食べられればいいからさ」
 アナタも偉いけど、お義母さんお料理上手だったもの、文句なんかないでしょ。
「俺が中学か高校か、お袋が1週間ほど入院した時に、1度自分でお弁当作ったことがあるんだ。おかず適当に詰めて、卵焼きも作って、よし自分で作れたぞって。で、お昼に卵焼き食べたら”ガリ”って…」
「殻!」
「うん。あの時はがっくりきた、自分で作ったら所詮こんなもんかって」
 うっかり卵の殻を噛んじゃうと、どうしてあんなに心身が縮み上がるのだろう。
「うちのお父さんのお弁当は彩り重視でさ」
 料理が出来た父は、遠足には巻き寿司に出汁巻き卵に飾り切りのウインナーと胡瓜、サンドウィッチを作れば喫茶店で出てくるようなミックスサンド。
「幼稚園の時に作って貰ったことがあったんだけど、いろんな材料が斜め切りに組み合わせてあって、お弁当箱の中がまるで万国旗を集めたみたいでさ、他のクラスの先生まで全員見に来て、囲まれちゃったことがあったよ」
 あれは秋で、母が入院した直後だった。ということはそれまでは母が作ってくれた筈なのに、私は母のお弁当を覚えていない。年が明けてすぐに母は亡くなった。
 給食が皆一様の制服みたいだとすれば、お弁当は私服でその人のその時の状況を表し出してしまうのだなぁ。沢山の美味しかった記憶はボヤけて、ほんの数回のしょっぱかったお弁当だけが妙に強く残っている。
 3年前の異動以来、夫は週に1度ほど、私の作ったお弁当を持って出勤する。願わくば印象に残らないお弁当を作れていますように。