beautiful days

 早めに家を出て、予約時間まで美容院の近くのマクドナルドへ入った。頼むのはいつも決まってストロベリーサンデー。それだけが載ったトレーは軽すぎて頼りない。怖々運んでカウンターテーブルに着いた。ふう。鞄から図書館で借りた小説を取り出し、スプーンでアイスクリームを掬って口に含んでは活字を味わう至福の時間。
 間もなく隣の席に誰か座った。あえて見ないが視界の端に体格のよさそうな男性が。ランチタイムを過ぎた午後2時、店内は空いている。カウンターテーブルは5人掛けで端っこに私がいるだけだ。向こうの端は通路側で落ち着かないにしても、こういう場合1つ空けて座らないかしらと違和感があった。けれど嫌な感じはしなくて、なんというのか、じんわりするものが通い合うような。私は目線を本に落としたまま、隣からのハンバーガーとホットコーヒーの匂いを感じていた。そして、頃合いに本を仕舞い、立ち上がって、隣の人も文庫本を開いていたと分かった。髪に白いものが雑じる男性だった。昼下がりのひと時を同様に楽しむ仲間だったかと胸のうちでふふふと笑った。
 夕暮れが早い。冷えてくる部屋で猫や鳥や兎が待っているだろうと時計を見て、スーパーへ駆け込んだ。カットをいい感じにして貰って、うふふと足が軽い。お魚の冷蔵ケースへ屈む込むと、傍のご婦人のカーディガンからお線香が強く匂った。小柄で白髪がちの肩までのボブ、80歳手前かしら。仏壇に向い、緩やかに弧を描く背中を思い浮かべた。いいな。お線香の匂いが好きになったのは、姑が亡くなってからだ。二七日、三七日と、お経をあげて下さる和尚様の後ろに舅と並んで座っていたのは16年前のこと。読経の声と立ち込める香煙に、法事を重ねる毎に静けさを覚え、四七日、五七日、そして六七日の頃には安らぎがあった。仏壇は夫の実家だ。近頃はお香をかぐ機会が少なくなっている。
 午後9時過ぎて夫を迎えに出て、「欠けてる」と空を指した。皆既月食が始まっていた。「曇り空で見えないかもってTVで言ってたけど、ほら」
 夫は束の間仰ぎ見、素早くネックウォーマーの喉元を直した。夫の一日は今日も寒くて忙しかったのだ。それでも家に入ると「後ろ、短くなったね」と私の変化に目を留めた。「似合ってるよ」の礼儀も欠かさない。私はそういうのが苦手で照れくさいのを、何でもないふうに「ほんと?良かった、〇〇さんて腕がいいの」と答えて、「すぐにごはんにするね」と台所へ逃げ込み、お豆腐のおつゆのお鍋を火にかけた。
 こんなふうに暮れていく、私の世界の狭さが心底いとおしい。