父をテーブルの上に投げ出したまま

 父が亡くなって24日。まだ24日と言える日数なのに、もっとはるか昔のことのような、初めから何もなかったような。それほどに変わりない毎日を送っている。まだ彼岸への途中の父がさぞびっくりしているだろう、”お前は泣きもしないんだな”と。
 父子家庭の、お父さん子の私だったが、結婚して父のもとを離れて21年、施設で暮らす父を訪ねる形になって12年、確かに私の日常に父は影響しなくなって久しいが、こうも心が凪いでいられるかと、自らの冷淡さが後ろめたくさえある。いがみ合って別れたわけでもないのに。いやむしろ恨み辛みでもあったなら。多少のそれはもう済んでしまっていた。
 そう高を括っていたから、昨日は慌てちゃった。
 本屋さんの前を通りかかった時のこと。”ああもう『中央公論』を買わなくていいんだ。” 毎月父に届けていた雑誌。そう思ったらじ~んと痛んだ。痛んだことにほっとした自分がいた。

 帰宅すると郵便受けに伯母からの封書があった。89歳の父の姉。遠方で持病があり、葬儀に参列できなかったが、伯母は「お葬式が落ち着いた頃にお手紙を書かせて貰います」と言っていた。
 生成りの封筒に縦書きの住所と宛名は、若々しい文字だと思う。稚拙だという意味では全然なく、流麗過ぎる達筆ではなく、丁寧な楷書で、字の上手い同級生から届いたよう。
 裏返して、伯母の名前をもう一度眺める。ほの暖かく、けれど何か重くて、そのままテーブルの上に置いてしまった。
 夜帰宅した夫が目を留めたので、私は「なんかね、開けられないの」と言い訳した。一先ず夕食を済ませ、食器を下げるとやはりそこにあって、夫が「俺が開けてあげようか」と言う。
「ううん、そうよね、読まないわけにはいかないし、中身は気になるのよね」
 夫が携帯を弄る傍で、私は鋏をとって封筒の上を2ミリほど切った。一度立って夫の前にお煎餅を出し、台所へ戻ってミルクティを淹れた。

 今朝、朝ご飯のテーブルに着いた夫が、片隅に置かれた封筒を見て、「それで伯母さんはなんて?」と訊いた。
「それが、ね。封は切ったものの、出してないの」
「ふうん。…よっぽど気が重いんだな」
 どうだろうか。重い、というんじゃなくて、ちょっと怖い、かな。何が書いてあるんだろう。開けるのが怖い。
 たぶん、何もなかったことにしておきたいのじゃないかな私は。父は死んだも生きたもない。
 伯母は電話口で「たった一人の弟ですさかいに…」と泣いた。
 今日こそは夜までに読んでおく、と出勤する夫に言ったのだったが。