やはり、メビウスの輪かな

 父の四十九日のことで弟から連絡があった。着々と進めてくれている。
 感謝。
 弟の言葉ではっとした。告別式での事だ。
 家族以外に参列下さった方がいたので、弟が喪主挨拶を述べた。父が早くに伴侶に先立たれ、1人で子を育てたこと、自分も子を持ち、父の困難が改めて分かったこと、晩年の様子と亡くなった経緯、等を述べ、参列の方へのお礼で結んだ、簡潔でいい挨拶だったと思う。
 続いて、棺を閉じてしまう前のお別れを行った。納められるだけのお花を手向けながら家族が父の顔を囲んでいると、葬儀社の方が「お顔に触ったりできるのはこれが最後になります」と告げた。弟が動いた。手を伸ばし、父のおでこを撫で、鼻詰まりの声で言葉をかけた。
「…ありがとうな」
 私は愕然となった。私は父に「ありがとう」の言葉をまだかけていなかったのだ。慌てて取り出そうとしたが、私の胸のうちには父への「ありがとう」が見当たらなかった。二度びっくりだが無いものは無い。ほんの一瞬だけ迷ったが、口先だけを繕っても意味がない、言わないことにした。
 これにはさすがにまいっている。ずっと引っかかっている。父もびっくりしているんじゃないかしら。父にたとえ至らぬことがあったにせよ、1人で苦労して育ててくれたからこそ、私は大人になれ、今こうして安穏に暮らしているのだ。子供の頃から私はお父さん子だったし、父の凄い所をいっぱい知っている。常に父の教えの中で日々を送っている。多少困り事を起こされたとはいえ、私は父と仲が良く、互いに特別の繋がりを感じていた。それなのに、なぜ父にかける「ありがとう」を持っていないのだろう。どれほど恩知らずな娘なのかと、恥ずかしくてここに書くのを躊躇ったが、しっかりと記録しておこう。
 父の死に泣けなかった事、「ありがとう」のない事。亡くなる一週間前に父を訪ねた時に、私は父との関係をメビウスの輪だと書いた。私は生い立ちの中で自分でも気づかない縺れを作ったのだろう。これを解くこと、父という人を読み解くことが、私に与えられた課題なのだろう。私は「もう何年も前からゆっくりと父とはお別れをしていたんだと思う」なんて、泣かないことの言い訳を夫にしたが、違ったかも。
 「ありがとう」しかありえない。初めから答えが決まっているこの問題の途中の計算式を埋められるのはいつのことか。ああ、私、宿題やり残したままなんだ。弟に後れを取ってしまったな。

 ところで、今まで私は斎場が怖かった。棺が炉の中へ送られ、分厚い金属の扉が閉まる時、いつも『ああこれで本当にもう一巻の終わりだ、万一生き返っても、叫んでも聞こえないんだ』と思っていた。しかし通夜のお経をあげて下さったお寺さんが教えて下さった。故人の霊魂は告別式で位牌へ引っ越しを終えているから、斎場に運ぶ遺体は空になっているという。だから今回初めて安らかに棺を見送れた。これからも、もう怖くない。
 そして、葬儀というのは、故人に、お坊さんになる人とほぼ同じ出家の儀式を授けるものだそう。お経によって、これからあなたは仏になるのだと宣告され、守るべき戒律を言い渡され、新たな道へと送り出される。
 お父さん、いってらっしゃい。またね。