本当に家族だけのお葬式

 葬儀に来てくれる人がいないのはやはり寂しいことだろうか。
 85歳の死。父には元々親戚が少なかった上に、結婚して数年で妻に先立たれ、妻側の親族とは疎遠になっていた。就職時に故郷を離れて久しく、生活に追われ、友人との交流も絶えていた。随分前に仕事関係の付き合いも終っている。
 父の姉が1人存命だが、他府県在住、持病多数の89歳であるから来られないことは承知の上で電話で伝えた。伯母は受話器の向こうで泣き、泣いた事を「みっともなくてごめんなさいね」と詫びた。
 夫は一人っ子。義母は既に他界。80歳の義父は透析通いの老体だから来させなかった。
 弟の妻・義妹は、両親共他界、お姉様のご主人が重篤で付き添い中。
 夫も弟も勤務先の方へは弔問を断った。
 だから、弟家族と私たち夫婦以外に、お通夜には父がいた施設から1人と夫の従姉が1人、告別式には弟の勤務先を代表して2人、弔電が9通だけの葬儀であった。
 とはいえ、父の旅支度はしっかりと整えられ、供花に彩られた祭壇は輝いて見えた。人並みなことをしてやれたと弟が言えた事がこの葬儀の最も大事な意味だったと夫も賛成してくれた。

 父の遺影は、施設で撮られたスナップを頂いて作った。父は照れかくしにおどけてしまうから正面をきちんと向いたものがない。仕方なく一番機嫌のよさそうな顔を選んで、服などは葬儀社で加工して貰うわけだが、この際も面白かったな。見本には百以上の服装があって、私はここ数年父の普段着だった白ポロシャツでいいと思ったが、弟は違った。父が現役時分に最も好んで着た紺の背広にネクタイを選ぼうとするのだ。その上、「着物もいいかな」と言うのには驚いた。
「ええ? 着物なんか着なかったじゃない」
「ほら俺らが赤ちゃんの時の写真に、正月で、お父さんが着物姿のがあっただろ」
 ああ! でもそれは父が30代のものだ。古いアルバムの中の一枚、私が生まれて間もなく迎えたお正月で父は筆を握っている。書道が得意だった母と書き初めなんかしている、幸せな父。弟は当然まだ生まれていない頃なのに、この写真を弟は記憶に刻んでいるんだな。同じ家で20年ほども一緒に過ごしても、胸のうちに、こうも違うものを育てるのか。
 結局、遺影の上向きな顔には着物の襟もとがいいだろうと、弟が着物に決めてくれた。出来上がってみると、引き伸ばした写真だから少しピンボケになるし、父らしい顔には見えなくて、弟の表情も曇った。しかし、祭壇に飾られたその写真を、通夜の読経を聞きながら見つめていると、みるみる父の表情が穏やかににこやかになっていくのだ。私は弟に言った。
「この写真にしてよかったね」
 父は本当に満足げだった。