今年も忘れずに咲く

 埃っぽい県道沿いでバスを降りる。私を乗せて来てくれたバスと、反対車線のダンプカーが走り去ると、向こうに広がる景色が変わっていて、少しの間だけ立ち尽くしてしまった。
 あんなに青く天を向いていた稲穂たちが一面の黄金色に変わってしまって、たわわなこうべを垂れていた。そりゃそうか、3週間も経つのだもの。山の上の入道雲も盛夏の勢いを失ったようで輪郭が柔らかく見える。ビ~ビ~とそぐわない警報音が断続的に響いてくるので、見回せば、コンバイン…これは製品名か、稲刈り機が、そこでも向こうの田んぼでも稼動している。
 父のいる施設へ、田と田の間のかろうじて舗装されている農道を歩き出す。と、足元を水色の、これはシオカラトンボ?が横切って、畦にとまった。畦には、赤い曼珠沙華。そうか、お彼岸なんだ。
「この花はヒガンバナとも言うんや。お彼岸の頃になると毎年ちゃんと咲くんやから不思議なもんや」
 小学生だった私に父が教えてくれたことだ。仏壇の母に供える野花を求めて、父とよく里山を歩いた時期があった。父のポケットには肥後守が控えていたっけ。
 父は、TVとダイニングテーブルのある広いフロアで皆と相撲を見ていたが、私を認め、部屋へと席を立った。
 「遠い所をすまんな」と言い、「お前、足は大丈夫なんか」と訊いた。
「今はちょっと右膝がほら分かる? 左と比べると腫れてるでしょ。でも痛くはないよ、曲げにくいぐらいで。張ってるからね、そうだな、膝にタオルを巻きつけた感じ。お父さんは? どっか痛いとか具合悪いトコないの?」
「おかげさんで元気や」
 土産のオヤツ昆布は父の好物で、さっそく手を伸ばす。そして又「お前足は大丈夫なんか」と訊く。3分したら又訊くだろう。更に3分後にも。吉本新喜劇でおじいさんに扮した寛平さんみたい。
「お前、ここまで来るのはたいへんだろう」
「平気。時間はあるし。それに父さんの顔見ないと気になるしね」
「……こればっかりは仕方ないよなぁ、オヤコだもんなぁ」
 軽い認知症になってずいぶん経つ父が私のことを分からなくなる日が来るのかと、訪ねる前はいつも不安を抱えているのだが、まだまだ全然大丈夫そう。
 またねと手を振り合って部屋を後にした。
 バス停まで引き返す道で気が付いた。あの警報音は、稲刈り機のギアをバックに入れた時に鳴るのだ。傾きはじめた日差しが穏やかさを増していた。
 もうしばらくは時間の猶予が与えられているようだ。