父が私を分からなくなるなんて

 父が私のことを分からなくなる日がくるんだろうな、と、もう何年も前から緩く身構えている。しかしいざとなっても受け入れられることではないだろう。午後に顔を見にいく予定だが、今日それが現実になるかもしれない。
 父は15年くらい前から認知症になって、今は施設で暮らしている。認知症といっても軽度なもので、日常会話なら成立してしまう。父をよく知らない人は、父が語る自分の経歴や近況に混じる嘘に気付かない。「今日は何月何日」を訊けば端的なのだが。
 父は85歳。先月訪ねた時には、私の顔を見ていつも通りの「いらっしゃい」を言ってくれて、私は父に元気にしてたか等と問い、3日前に来たはずの弟の事を持ち出すと、
「あいつ、来てないぞ」
と、これだ。最近はこういう事が当たり前になっていたから驚かないが、ふと怖くなって私は、
「ね、私が誰だが分かる?」と訊いてみた。
 父は「あほう、分かるわ」と笑って続けた。
「アレ(弟)のことが分からなくなっても、お前だけは分かるさ」
「ちょっとちょっとそれは親として言っちゃダメでしょう」
 照れ隠しでとっさに返したが、私も心の芯でそう思っている、父は私だけは分からなくなるわけがないと。
 父子家庭だった。弟はあまりに幼くて、私を父は頼みにするところがあった。所詮子どもだから実質的な事には勿論無力だが、私に、父は何でも話して聞かせ、やってみせた。そして私は、大人になるにつれて、父の頑なさ脆さが見えてきて、頻繁に意見をするようになった。徐々に入れ替わっていって、メビウスの輪のような繋がりを潜在させている。
 だから。今では私は自分の結婚生活が大事な、親孝行の足らない娘で、それは後ろめたく、けれど私と父は特別なんだと、”その日”は来ないと結局のところ高を括っているんだろうな、私は。