ちょっと、凄かった 結び

 1年半ぶり。駅から7,8分の何でもない道が遠い。25分かかって辿り着く。繁華街に名医が開くクリニックはコンパクトで、待合ベンチのすぐ前に診察室と処置室。診察室の扉が開き、看護師さんに呼ばれ、返事をしたものの立ち上がるのに数秒かかり、そこから扉までの2メートルほどを歩く姿が人目を引いた。
 「どうしたんや」と優しく尋ねてくれる先生の前に座って、「勝手をしてすみません、一生薬漬けかと思うと嫌になって、反抗期とでも言いましょうか。また診て頂きたいのですが…」と言うと、先生は半ば呆れ、「反抗期はいいけどキミからだ壊れちゃうよ」とそれでも笑ってくれた。
 先生は名医で患者が多く、以前の月に一度の通院では、いつも診察の時間は1,2分だった。
「調子はどうですか」「はい特に腫れたりせず落ち着いてます」「いいね、薬のコントロールが上手くいってるね、前回の血液検査の結果もいいよ、この調子で。じゃ隣で注射ね」「ありがとうございました」
 先生は鷹揚だが、さらさらと流れるこのやり取りの中で、ちょっと訊きたい事があっても言いそびれるのが常だった。
 しかし、この度もう先生には取り繕うものなんか無くなった。正直に、今後はなるべくステロイド薬を飲みたくないと言えた。それに対しても先生は理解を示してくれた。
「分かった。ただ今はすぐにでも炎症を抑えたいからステロイドは仕方ないよ、とりあえず即効性のある注射を打つよ、今後の治療は様子みながらやっていこう」
 それがお昼頃で、夕方にはもう膝の痛みが和らいで、動きやすいのだ。帰宅した夫に吉報を聞かせることが出来た。夜は久しぶりに落ち着いて眠れた。そして翌朝、いつものように夫の着替えを用意しようと、洗面所の鴨居に掛かったYシャツのハンガーへ、手を伸ばしてひょいと下ろし……、 私今ひょいと取った? ひょいと取った! すっと手が上がって、さっと取った!! だって、取れなかったもの、手が上がらなかったし、yシャツのハンガーを掴むのが激痛だったし、重かったし、ゆっくりしか下ろせなかった、それをなんでもなく取った!!!
 驚きの次の瞬間、こんな簡単なことも出来なくなっていたのかと思ったら、声をあげて泣きだしてしまったので、夫が飛んできた。それで「ごめん、今ね、普通にハンガーに手が伸ばせたの」と訳を話したら、夫は「辛かったね、今まで辛かったね」と、泣き止むまで抱きしめてくれた。その腕の中で胸のうちで夫に沢山のごめんを言った。

 あれだけ腫れていた膝や足首は1週間でしぼみ、痛みも殆ど無くなった。薬の効きが空恐ろしくさえ思われる。あっという間に取り戻せた日常。しかし数か月に及ぶ苦痛の記憶は沁みついていて、何をするにも新鮮な喜びが湧いた。普通にバス停まで歩ける、歩いても痛くない、難なくバスのステップを上がれる、席を立てる、階段が上れる、…。買い物に行っては、きゃ~牛乳と大根とキャベツを籠に入れてる!好きな物が買える~!私すご~い!荷物が重くても肩が痛くない♡ と一々胸がときめいて。さすがに一年を過ぎた近頃は薄らいできていて、それが残念でならない。
 昨年7月再開から、以前と同じく月に一度の通院で注射と処方薬を受ける。体重は冬から戻り初めた。足指の付け根関節は数年前から変形していて、親指は酷い外反母趾、残り4本指も亜脱臼状態、右足の親指は既に4年前から人工関節であったが、今年2月に左足親指関節もいよいよになり、ひと月の手術入院。退院後は2か月間、左右別サンダル生活を送った。
 マジで酷かった昨春からの数か月、退職、医薬再開からの1年余は、夫に気遣われるばかりの、自分が病人なのか健常なのか、何をどこまですればいいのか、量りかねてふわふわと過ごしてきてしまった。 
 私の挑戦は”一時の反抗期”の形に終わっている。後に残るは、敗北感と、夫に対する思い。一生アタマが上がらないな(笑。
 ならば、あれは何だったのか無駄だったのかと自問してみるも、これは夫にだけは申し訳ないのだが、やってよかった、と思っている自分がいる。人生の寄り道回り道ではあるが、あんな経験は出来るものではない。自分の心へ問い続ける日々、暮らしの動作一つ一つの味わい、医薬への思い。
 もし病気が治っていたら、私は医薬というものを紙屑のごとく軽んじ、病に悩む人を弱い人だと決めつけただろう。尤もこんな心持ちでは病なんか治る訳がなかったと、これも後になって分かることだ。医薬というものは有史以来、大事な人を助けたいという、これも人の心が育んできたもので、成分以上の愛念が籠っているのだ。
 お隣のSさんに借りた書によれば、愛は正しさに勝るとあった。宇宙の理念、摂理、正しい心がこの世界を創り出す。その働きはすべてが調和して運ばれなくてはうまくいかない。正しさにさえ心が縛られてはならないという。私の敗因はこの辺りと、捨てきれない病への恐怖心との雁字搦めを解くことが出来なかったことか。
 まだまだ心が調わない私は医薬の助けを受けて生きていく。しかし、いつかもう一度挑みたいと思っている。