ちょっと、凄かった 続き×4

 昨年の3、4月頃には歩き方を誤魔化せなくて、仕事先で「酷いねん挫で」と言い訳した。体調の事を、同僚には話せても、取引先には言えない職種であった。電車に乗っての行き帰りがキツいだろう、ひとりでは行かせられないと、夫が可能な限り送り迎えをしてくれるようになってしまった。その時点で受けていた6月の仕事まではやり遂げて辞めることを決めた。
 またこの頃から目立って痩せ始めた。自分の腕を見てぞっとした。骨と皮。ずっとぽっちゃり目だったから、肩の骨がとがって浮き出ているのを夫が見て驚いた。炎症のなせる業だ。体中の至る所が熱を帯びていた。そのエネルギーに体脂肪がどんどんと使われるのに、食欲は減っていく。じっとしていても痩せていくのだ。
 私は、自分を情けなく思っていた。病は心の持ち方次第で消える筈なのに、そのことを心底信じられれば消える筈なのに、いつまでたっても囚われたままの自分をふがいなく思っていた。きっと潜在意識の中を、病気や恐怖、その他諸々のマイナスの気持ちがまだまだ大きく占めているのだろう。以前Sさんに聞いた事だが、一番大きな敗因は”恐怖心”なのだそうだ。病気から逃れたい、酷くなったらどうしよう、そういう思いが心の中に病気というものを強く印象し、表し続ける。治そう治そうと力むのもかえっていけない。本来ないものだから、なくそうと思う必要もないのだ、と。けれど、今現に手が足が痛い。と感じている。どうすればいい? 病を克服した経験談によれば、恐怖心を去るためには執着を捨てなければならない。死のうが生きようが成るようになれ…とことん追い詰められれば吹っ切れるか。
 夫の協力のもと仕事を終えた6月半ばから急速に悪化した。それでも私はまだ頑張りたかった。夫にこれ以上迷惑をかけられないと離婚や別居を考えながら、それまでは出勤する夫の為に最低限の家事だけはしようとした。しかし日に日に買い物に出かけることが苦しくなっていく。歩けない。苦しい。
 そして、忘れもしない6月30日。
 バスのステップを上った時、”あ、もう明日は無理かも”と思った。もう買い物にすら行けないかも。どうしよう。両足の足首は膝程の太さに腫れあがり、なぜか紫色になっている。こんなの、夫に見せられない。起きている間は靴下を履いて隠していた。
 が、その夜、靴下をこそこそ脱いで、早々に足元に二つ折りになった布団の中へ突っ込んで隠して、自分では布団を引っ張れないから、夫に掛けて貰おうと「ごめんなさい、お布団を…」を足元を指したところ、夫は「足が熱いのかい?」と布団を捲ってしまったから、「ああだめっっ」と叫んでしまったが、あとの祭り。
 紫色の足首を、夫は凝視した。ゆっくりと私の足先に触れる。「足首は熱いのに、指先は氷のように冷たい…、駄目だよこんなの…」と、私を見つめた。その私を心底不憫がる、悲しい表情を見て、私の心は折れてしまった。「もう頑張らなくていい、病院に行こう」と言った夫の言葉に、私は頷いた。
 終わった。
 翌7月1日、1年半ぶりにクリニックへ行った。……