ちょっと、凄かった 続きの続き

 今朝6時半、出勤支度を調えて玄関を出た夫が「寒い」と言った。9月に入って涼風が立つようになっていたけれど、もう秋の入り口をくぐったのかな。
 あの頃、夫は私が寝たきりになることを覚悟していたという。そして私は、もっと早くに夫に病院に引きずって行かれると思っていた。けれど夫は、最後まで付き合ってくれた、勝手に通院とお薬を止めてしまった私に。
 私は十年ほど前から慢性の関節炎で病院に通っていた。完治は難しく、投薬で炎症を抑えていくのだが、炎症が続けば関節の破壊を招く。ある程度変形が進めば人工関節に置換手術をする。私も数年前から片方の足の親指はチタン製である。そう、これも理由の一つかもしれないな。ちゃんと病院にかかっていたのに悪化を食い止められなかったのだもの。
 足の手術の直前に、私はある思想に触れた。ご近所のSさんから伺ったのだ。母親と同い年のノーブルな女性で、ふとしたことからお茶に呼んで頂いて。
 ……この世界、宇宙、五感で感じているものはすべて人々の心が創り出したものだということ。思念、思考、口に出す言葉、表情や手ぶりがそのまま表れる。人の心は無限の可能性を持つ、と。
 しかし私は病気を望んだ筈はないのですが、と少し皮肉な笑いを浮かべてしまった。そこでSさんは言った。
 ……心の、私たちが意識できている部分は僅か5パーセントで、あとの95%の潜在意識が人生を動かしている。例えば病気というものも、何か後ろめたいことが有って自分を罰したいとか、仕事が嫌で休みたい為だとか、もっとシンプルに病気になりたくないと強く恐れるあまりだとか、各々の人それぞれの理由で現れる現象なのだ。
 それはフロイト精神分析を私に思い出させ、興味深く、以来Sさんと時々そういう思想のお話をするようになった。そして次第にある決意が固まっていった。
 ……宇宙の理念に従い、精緻に形作られる世界。人体ならば設計図であるDNAのとおりに健康である筈の体を蝕むものが心なら、戻すのも心だろう。現に、ただのビタミン剤を新しい特効薬だと聞かされて服用し、病気の治った例も少なくないと聞く。薬は、症状を和らげてくれるが病原を退治するものではない。ならば、心を強く持ち、自分の生命力に委ね、本来の細胞たちの正しい姿を現しだせる筈だ!
 こんなふうに考え始めると、もうお薬を飲むことは自分を欺いているに過ぎないように思われて、とうとう、一昨年のお正月から医薬を断つことにした。
 そしてその18か月後の私は、昨日書いたような有り様で……(笑