社会のエアポケットにいるな、と昨日そんなことを思った。
体を壊して仕事を辞めたのがちょうど一年前。それから通院して回復していったが、この春に手術入院をしたので、ほとんど家にいた。
もともと仕事も週末のみの専業主婦に近い状態ではあったが、僅かな家事の他は何もしないで、社会の歯車から完全に外れているのだと、昨日、賑わうショッピングセンター街を歩きながら、思った。
それは私にとって悪いものじゃない。穏やかに、少しずつ、荒れていた庭の木を切り、食事の献立をあれこれ考え、ネットで手芸のページを眺め、育成ゲームでポイントを貯め、ペットの世話が以前ほど面倒じゃなく、夫のワイシャツの襟にお湯をかけてから石けんを塗り、浸けこんでおいて、インスタントコーヒーを飲む。
こんな状態を一年も許されていることに感謝している。
ただ、このまま一生を過ごすのかな、と昨日は問いかけた。このままで終わっても、良い人生だ。夫は今以上を望まない人だ。もっと家のことを調えれば、夫は仕事に集中でき、喜んで暮らすだろう。私にとってもそれは悪くない。
けれど、他にもしたい事が数年前から出来ていて、もうすぐ50歳になる。どうせならそれを叶えようよ、そろそろ。
通りかかった夫の仕事場をのぞき、背中と横顔を見て、ひそかに勇気を貰った。
うまく言えない(いつものことだけど)けど、充足感と緩やかな焦りの中にいる。