声で、エッセイ…?

 私の愛読ブロガーのお一人、Emilyさんが声の配信をされてて、すっごく素敵です。

 感激して、私も真似したくなり、挑戦しましたっ

 2分半ほどですが、よろしければご用の片手間に聴いてやってください(笑

    働かない、という使命だってある? - よろしゅうおあがり - Radiotalk(ラジオトーク)

それこそが宝物

 アラフィフになって物欲がなくなってしまった。いいなと思う洋服があっても、持ち物が増えるのが嫌で買うのをやめる。今あるもので十分じゃないか、と言えば聞こえはいいが、単にモノグサというか、おしゃれゴコロの低下で、これって老化かしら、オンナを捨ててることになるのかしらと危ぶんでもいる。

 猫に小判、豚に真珠というけれど貴金属やブランド物には以前から縁と興味がなかった。

 とはいえ、物凄く欲しかったもの・・・記憶をたどると幾つも出てくる。

 一番大きいものは今の夫。中学時代、同じクラスになって、席が近くになって親しくなって、好きになって。でもその頃、夫には両想いの女の子がいたから、私は即諦めた。諦めたまましばらく好きでいた。だから二十歳を越えて再会して付き合いだした時に不思議な心地がした。

  一番小さいものは、クリップ。何の変哲もない、紙を挟むゼムクリップ。これも中学時代のこと。当時は今みたいに可愛い文具がなかった。カラーのクリップ自体が珍しかったのを、手先の器用な夫が、赤いクリップの一部を90度ペンチで曲げてハート型にし、好きだった女の子にあげていた。それがもう羨ましくて羨ましくて指をくわえて見ていた。形状が形状だけに、片想いをひた隠しにしていたこともあり、私にも作ってよとは言えず、でも諦めきれず、塾で他校の友達に頼んで同じ物を作ってもらったけど・・・手の平に載せて眺めても、ちっともときめかなかった。あれこそ、永遠に手に入らなかったもの、になるかな。38年前のことなのに今でも切なさを味わえる。

こんなにも想えるひとと出会えたことを

  夫婦げんかは夫婦の数だけ形があるのだろうな。

 レアだけど幾組かけんかをしたことがないというご夫婦がいた。正直ねたましく、うらやましい。

 わたし達夫婦は結婚するまでけんかをしたことがなかった。ずっとせずに済むかと期待したが、一緒に暮らすようになると、それぞれ日中に外で蒙ったストレスを持ち帰っていて、普段なら何でもないことに腹を立て、言葉をぶっつけ合うことに。

 うちはたぶん少ないほうで、それでも時々あって、原因はたいてい些細だ。

 おとといの昼、冷蔵庫にワラビモチがあるのを言った言わないから大喧嘩に発展。後になってみると笑うしかない。

 でも。けんかや諍いって本当にいやなものだ。

 今年で結婚して25年になるのに、あいかわらずそんなことでけんかになるなんて、情けない。夫との口論のさなかで私は自分の性格の悪さをつくづく思い知ってしまって、二日経つけど心の芯で凹んでいる。

 あの日、夕方には謝って、仲直り出来て、いつもと変わりなく夕ご飯を食べてテレビを見て就寝した。私が先に布団に入って目を瞑っていた。10分ほど後から寝室にやってきた夫は、体を横たえる前に、私の頭をそっと撫でた。

 そのことがふいに思い出される。夫も凹んでいたのだろうか。

 結婚した頃は、夫のことを何でも理解できる妻でありたいと思っていたが、何度も失敗を重ね、私には無理だと諦めて久しい。生涯一緒にいたいとか、まして来世でも添い遂げたいなんて、おこがましくてとてもとても。ただ、一つだけ、変わらない思いがある。この人には幸せな人生を送って欲しい。

だって美味しいんだもの

 私個人は大雑把でいいかげんな人間だ。けれど。

「日本人ってやっぱり几帳面で細やかなんだと思う」

 しみじみ思ったのだ。

 オフィス街にあるカレー店でお昼を食べて出てきたところだった。数年前に夫が入り、美味しかったからと、以来休日に時々私も連れて行ってもらっている。

 看板にはインド・ネパール料理と謳われていて、店員さんはインド系とおぼしき男性が二、三人、いずれも褐色の肌で日本語は片言だ。それほど広くない店の高い位置に設置された小さいテレビではミュージカル仕立てのインド映画のDVDが決まって再生されていて、独特の音楽が流れ続けている。

 メニューはナンカレーをメインにサイドディッシュや飲み物。本場の味という感じでカレーが美味しいのは当然、注文を受けてから焼かれるナンが大きくてふかふかしてて素朴なのに味わい深い。

 食べ初めから最後のひと口までずっと「美味しいねぇ」「美味しいなぁ」がとまらない。カレーの辛さはOから5までの6段階ある。夫は癖の強い食べ物や薬味、香辛料を好まないので、辛さOか1にする。辛み以外のスパイスを美味しいと感じられるところに、スパイスの国のワザを思う。

 私達夫婦のお気に入りのランチになっている。

 ところで。

 セットドリンクを「食後」と言っておいても割りと早い段階に供出されることが多々。

 ラッシーを頼んだのにチャイが出てくる可能性がある。

 辛さはOでも1でも同じ気がする。

 スタンプカードはランチ一つごとにスタンプ一つの筈だけど、夫婦で会計を一緒にするとスタンプは一つだけのことがほとんど。

 一瞬「ん?」となる時々のアレコレはあれど、アリガトゴザマスとはにかんだ笑顔の店員さんはいとおしく、言ったところでどこまで通じるかも疑問だし、何よりそれらすべてを呑み込んでしまう美味しさなのだ。

私「日本人が細か過ぎるんだと思う」

夫「?」

私「たとえば、辛さ。ベースとなるルーが作ってあって注文に応じて辛いスパイスを加えるんだと思うの。店員さんは二、三人居るじゃない、その時調理をする人が目分量でスパイスを足す。人によってさじ加減が違うから、1でも甘い日があったり、Oでも1くらいの辛さになったり。ナンの焼き加減も、前回だけすごくこんがりしてた。あれは、作った人の好みか、うっかり目を離して焼きすぎたのか。どちらにしても美味しかったけど。ドリンクを出すタイミングも店員さんそれぞれ。それからね、アナタはラッシーだから知らないだろうけど、私のホットチャイ、毎回スパイスの濃さが違うの。これも作る人のさじ加減だと思う。で、すごいのはね、スパイスが濃くても淡くても美味しいの!生まれた時からスパイスと生きているネイティブな人が作るからじゃないかな」

 スタンプカードだって、押し惜しみじゃなく、カードを出されて、ぽんと押してるだけ。一回出されて一回ぽん。こだわりがないんだ、きっと。

 調理も接客も、日本ではマニュアル化されている事々が、店長から店員さんに口伝の指示で任される。日本人には大雑把に見えるけれど、国民性というか文化や習慣、考え方の違いだろう。

私「つまりすべてはさじ加減で、それも含めてあの店の味わいなのよ」

さくらマジック

 時々しか使わない川沿いの道を夫とスクーターに乗って通りかかると、夫が。

「ここの並木、桜だったんだね」

 街路樹のソメイヨシノが道の両側で三部咲きになっていて、ふんわりとした薄桃色をまとっていた。

「ほんとだ。普段は何の木だか気に留めないもんね」

 私には思い当たることがあった。去年の春、しょっちゅう利用するスーパーの駐車場に桜の花が咲いていてハッとしたのだ。この川沿いも年に十回くらいは通っているのに。花が終わって葉が茂ると、私の中で他の木と一律に緑の街路樹になってしまう。

「きれいだなぁ」と夫が呟く。

 いいんだと思った、これで。この木が桜であることを忘れてしまっても。そしてまた驚ける、嬉しくなれる、来年も再来年もずっとずっと何度も何度も。