1122の日を前にして

 夫を見送る時の気持ちって毎朝違うなぁと、ふいに思った。
 私は駅前のロータリーの一隅に停めたスクーターのそばに立ち、駅舎のエスカレーターで上っていく夫を見上げながら。それはほぼ毎朝繰り返される光景なのに、結婚してもう23年近くなるのに、今更そんなことを思う自分が可笑しかった。

 一昨日は、その前夜夫に叱られた事を私は引きずっていて、ぼんやりと夫を見上げていた。夫はいつものように手を振ってくれたのに、その日は午後まで凹んでいた。

 昨日の朝の私は、視線を結んだまま徐々に遠ざかる夫に、名残惜しいようなほの温かい感情を抱き、夫の一日の幸運を願った。

 日中それぞれの身に起きた事、夫の帰宅後から就寝まで、起床から出勤まで・・・交わした言葉、胸のうちの思い、体調などが織りなす二人の関係はヤジロベエのよう。
 いつもいつも変わらずに機嫌よく夫を見送りたいのに、23年も夫婦でいても、揺れてしまうのだなぁ。

ゆさとのお別れ 6

 純真無垢に生きたゆさに心残りなどあろう筈もなく、颯爽と帰ってしまった。
 亡くなった後の遠ざかり感が速くて、私は呆気にとられている。
 けれど、忘れられるわけではない。
 見ると辛いよなと夫が言い、ゆさのケージを私は速やかに畳み、お風呂で洗ったが、そのパーツ達は、コンパクトになっただけで、ケージのあった場所に未だに立てかけたままだ。だってどこへ片付けていいか分からない、10年以上もそこにあったのだから。
 スーパーへ買い物に行く度、もう小松菜も水菜も人参もカボチャ(種がゆさのおやつになった)も買わなくていいんだと気付いて胸が疼く。
 13年以上通ったうさぎ専門店へ行く用が無くなったと夫が嘆く。
 猫のアポロの瞳を見つめると、天界へ通じている気がして、アポロに向かってセリフを棒読みするような口調で「ゆさをかえしてくれ~」と呟いてみる。横合いから夫が「アポロに言ってもしょうがないよ」。うん、無意味なのは承知の上なんだけど、ね。
 TVにうさぎの映像が流れると、辛さと愛しさがごちゃ混ぜに湧きあがる。瞬時に泣き笑いしてしまう。
 ゆさに、f:id:wabisuketubaki:20180601124701j:plain  会いたいな。f:id:wabisuketubaki:20180601124507j:plain

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ゆさとのお別れ 5

 胸の上にゆさを載せたままでコーヒーを飲んだ。
「ゆさ、ふしぎだねぇ、こんなに悲しくてもコーヒーはおいしいよ」
 昔読んだ少女漫画を思い出した。主人公の女子高生が嘆くのだ、あたしってば失恋してもおなかが空くんだなぁって。
 ゆさの心臓の鼓動が止まってこの世からいなくなってしまったら・・・亡くなる半月ほど前、ふいにそう想像してしまい、震え上がったことがあった。ゆさがいなくなるなんて考えられない、耐えられない、と。
 けれど実際にゆさがいなくなったその夜から、私はいつもどおりご飯を作り、食べられて、今まで通りに生活していくのだなぁ。
 夫に、ずいぶん迷った挙句11時半頃にラインで知らせた。ゆさの具合が悪くなってから夫は毎朝「ゆさを頼むな」と言って出勤し、日中も気にかけていた。そんな夫に、仕事中に辛いことを知らせれば、退社するまでの長く苦しい時間が・・・と思った。が、夜になって、ゆさが既にとっくに息を引き取っていたと知るのは、私ならば嫌だ。一刻も早く知りたい、たとえすぐに駆けつけられなくても、分かっていたい。そう思って送った。
 帰宅した夫に、私は「食欲ある?」と訊くと、
「食べるよ、さあご飯食べよう! 帰りにあの美味しいチーズケーキ買って帰ろうとしたら売り切れだった」と言った。
 え、ケーキ?
「うん、いつも通り食べるぞって思ったんだ」
 続けて夫が言った。
「不思議だ、すごくショックな筈なのに、ゆさが悲しみをやわらげる麻酔でもかけたんだ、”ほらね、ぼくがいなくなってもだいじょうぶでしょ”って」
 ああそうなのか。そうかもしれない。確かに、頭が変になりはしないかと恐れていたのに、私はわりと落ち着いていて、静かに澄んだ湖のようなさみしさが満ちていた。
「私は、こんなに悲しい辛いといえるほどゆさを大事にしてこなかったから嘆く資格もないし、後ろめたくて誤らなければいけないこといっぱいあるんだけど、今更謝る気もなくて、ただただ、会いたいよ・・・」
 もう叶わないんだなぁ・・・。

 夫とあれこれ考えて、翌日の朝、庭に葬った。小雨の降る中、夫がシャベルで深く美しい穴を掘った。濡れた土は軟らかく、夫を助けた。急いで葬ったのには訳がある。死臭がひどかったのだ。
 朝に亡くなって、午後3時には少し匂った。真夏でもなし、10月末にこうも早いものかと首を傾げた。そして翌朝には部屋や廊下中に強く匂った。この上なくかわいい姿、寝顔を横たえているのに、この小さな体、美しい魂の持ち主から、こうも酷い匂いがするものか。
 それはゆさが私たちに、執着させない為、早く自分の体を手放すように仕向けたかのように不自然だった。実際、もし匂いがしなければ、私は3日間くらいは抱き続けただろう、これまでに小鳥が死んだ時にそうしたように。
 魂が去った今、肉体は物質でしかないのだと、ゆさが教えているようだった。

ゆさとのお別れ 4

 亡くなる前日の朝には、ペレットどころか軟らかい青菜も食べないし、水も飲まないし、怖くなった。このまま何も食べないならば、動物病院へ点滴に行かねば。果物なら口も変わるし、カロリーも高めだし・・・祈るような気持ちでゆさの口元へ運ぶとしゃくしゃくと食べたので、胸を撫で下ろした。しかし量が少ない上に、夜になると又食べなくなった。
 もう猶予がない、次に打てる手は・・・毎日動物病院へ通うのはゆさにとって体力的負担とストレスになるだろう。食事さえ摂ってくれれば。そこで強制給餌を決めた。明日から始めよう。
 それまでは、ゆさをエージの中で横たえてしまわず、少しでも体を使って自分を支えたるよう、木のブロックにもたれさせていた。しかし食事や水分摂取が十分でなく、この夜はさすがにぐんなりと力の入らないゆさを、私は抱えて眠ることにした。ケージの横に座椅子を置き、おなかの上にゆさを抱えて一晩を過ごした。時々駄目もとで菜っ葉やフルーツ、人参を口元に運んでみたが、やはり駄目だった。おなかが空いているらしく、齧りかけるも、あごの力がないのか、うさぎに時として起こる歯のかみ合わせの不具合かもしれない、かわいそうに。
 ゆさをおなかに載せて過ごした長い夜は幸せなものだった。
 そうして夜が明けて、私はこの朝一番にまず獣医さんに点滴をお願いしようと考えていた。そして強制給餌に踏み切る。自分で食べるうちはと思っていたが、遅すぎたかもしれない。とにかく、ゆさ、今日からまた新たな挑戦だぞ。
 ケージにゆさを横たえ、夫を送り出し、家の中を片付けて、8時を回った。動物病院は9時半から診察だから、9時前に受付をすれば1番か2番で診てもらえる。早めに行こう。病院まではスクーターで10分弱だから・・・ケージにバスタオルを敷きこみ、診察券などを用意し、さあゆさ、行くぞ、とケージへ手を伸ばしゆさを抱えて、私はがくがくした。体が硬い、声をかけても反応がない! うそっ まさかもう亡くなってしまっているの!? ゆさのおなかに耳を当てるも、音が分からない、ややして聞こえる微かな動悸が、ゆさのものなのか私のものなのかも分からない。もう混乱してしまって、獣医さんなら蘇生させて貰えるのか、それとも無理なのか、今まだ息があったとして、スクーターで走っている間に息を引き取ってしまったら、あまりにかわいそうだ。迷い、考え、バスタオルにゆさをくるんでかばんを掴み、私は外へ出た。近くのバス停に、タクシーが止まっていたらタクシーで行こう、そうすればゆさに寄り添っていられる。しかしタクシーはいない。ああこんなもたもたしている間にも。やはり自分で連れて行こうとすぐに家に引き返し、スクーターの鍵をつかんだものの、ゆさを抱えて上がり框に座り込んでしまった。
 ゆさのおなかに何度も耳を当てるが、まだ息があるかどうかも分からない。こんなに瀕死では獣医さんでも無理か、いやそもそも高齢で衰弱したうさぎを延命治療してくれるだろうか・・・。
 静かに送ってやろうと決めた。茶の間に入り、座椅子で、ゆさを胸の上に抱いて泣いた。きっとゆさは8時ごろには息を引き取っていたのだろう。そうと分かっていれば、出かけ支度なんかせずに抱き続けていればよかった。
 途中で台所に立ったりしながらも、午後3時くらいまでそうしてゆさを胸に載せていた。

ゆさとのお別れ 3

 昼間は家事や自分のしたいことをしながら、ゆさが倒れていないか確認した。自分でえさが食べられないこともあり、長時間留守には出来なかったが、スーパーへ買い物には出かけた。ゆさに与える青菜の仕入れも重要だった。
 好んで口にしたのは、水菜や小松菜、キャベツ、ごくたまに手に入れば大根葉やブロッコリーに僅かに付いている葉っぱ。食べるものは割と限られていて、どんなに大好物だろうと、同じものが続くと飽きる(笑。主に安定して手に入る小松菜と水菜を交互に与えた。青々とした緑の葉の部分をゆさにあげるから、茎ばかり残るのを夕食に供する。炒めたり、煮たり・・・茎だけだとシャコシャコと意外に硬さを感じたが、夫も私もゆさの為なら何でもないことだった。
 食欲のあるうちは大丈夫、食べなくなったら終わり。そう思っていたから、何かの具合でゆさが食べないと、とたんに私は塩をかけられたナメクジのようにへなへなオロオロとなった。
 ありがたいことに、ゆさは動けなくなってからも食欲はあって、とにかく食べてくれていればひと安心。ただ、徐々に徐々に食べる量が減ってきているのを認めざるをえなかった。食べ方も、少し前までは大きい葉っぱをそのまま何枚もわしわしと齧って平らげていたのが、勢いが減り、葉脈に手こずりだし、小さくちぎってやらなければならなくなった。人参も、厚い輪切りに噛り付いていたのが、薄いスライスになり、そのスライスを千切りにしないといけなくなった。
 動けないから筋肉が落ち、摂取エネルギーも減り、ゆさの体は骨ばって痩せていた。そのか弱くなった体を持ち上げる時、私は痛々しさと同時に愛しさを感じた。ぬいぐるみのように、いやぬいぐるみよりももっとずっと愛くるしい存在。

 回復が見込めなくても、このままでもいい、居て欲しい、もうしばらく居てくれそうだ。この頼りないながら、柔らかで優しい生き物の呼吸が、鼓動が止まるなんて、考えられない。たとえ意識がなくなっても、心臓が動いていてくれさえすればいい。私は、これまで末期の延命治療について、自分も家族にも無意味だと考えてきたが、生まれて初めて、延命治療を望む家族の気持ちが分かった。どうしても、ゆさにこの世に居続けて欲しかった。