”日にち薬”って関西弁なの?

 節目は節目、なのだなぁ。
 先週、舅の一周忌を行なった。夫と私、叔父夫婦だけという小規模なものだったのに、ひと月も前からそわそわと落ち着かず、済ませて一段落した気になっている。
 舅が暮らしていた家は一年間手つかずになっていた。台所のコンロ脇には舅が毎日使っていた小ぶりなフライパンと片手鍋、シンクには洗い上げられた普段使いのお茶碗、汁椀、取り皿に湯呑み。勝手口に置かれたハンガーラックには散歩用の上着とズボン、帽子が数着ずつ掛かったまま。
 それらを法事の前に夫と片付けた。衣類をどうしようかと問うと、夫が「もう捨ててもいいだろ」と言ったので、私は可燃ごみの袋を広げた。次々に詰めていきながら、「不思議だね」と夫に話しかけた。
「去年、お義父さんが亡くなったばっかりの時には踏ん切りがつかなかったのに、一年経つと処分できるんだねぇ」
「…そうだなぁ」
 時間の流れと共に前へ進んでいくのだなぁ、ひとは。