さくら桜サクラsakura…

 いよいよソメイヨシノも終わりだなぁ。
 近所の桜並木。私は素直じゃなくて、つくづくあまのじゃくで、満開の頃に人や車でひしめいているのを見てわざとそっぽを向いて迂回したりした。そして今、静けさの中の葉桜を見上げている。
 通りかかる私に、はらりはらりと薄桃色の花びらを投げかけてくれるのが嬉しくて、確かに盛りの華やぎや美しさはないが、これはこれでいいものだ。
 花をすっかり落とした木がほとんどだが、まだ沢山の花をつけた枝があったりして、まだまだ楽しませてくれるではないか。同じ並木、同じ生育環境の桜達なのに、木毎枝毎にずい分差がある。もしかしたら私が考える以上に、個体差というか、草花にも個性があるのかもしれない。咲き急ぐ木もあれば大器晩成の木もある。そのおかげで私は長い時間花を楽しませて貰えるのだと思った。
 その夜、帰宅した夫が、職場の生垣のつつじのことを話しだした。敷地を取り巻くつつじのうちの何本かだけが満開なのだという。そこだけ特に日当たりがいいとかいうことも一見なさそうで、他の多くの木はまだ蕾だし、なんでだろうねと首をかしげていた。
 ますます木の意思、個性というようなことを私は思った。個性はきっといいものだ。みんな違うから色々ずれが出て、バリエーションは無限に広がって。ましてや人はきっともっとそうだ。性格が合わなくてかみ合わなくてマイナスの感情を生んでしまうのはなぜだろう。本来それは楽しいものである筈だ。