年賀状に人生を問われる

 何を大仰な、と笑われそうだけれど…
 人として生きるというのは、年賀状を誰に出す誰に出さないというような事を思い煩うことではないかしら……
 いえ、クヨクヨ加減は人により程度の差があると思うのですが ^^;

 昨年11月、喪中欠礼ハガキを書く際に迷って出さなかったのが、元”新郎新婦”様だった。私は3年前まで披露宴司会の仕事をしていて、担当したカップルの幾組かから年賀状を頂くことがあった。それは後日改めてのお礼として披露宴の翌年のみであるのが常だ。

 そんな中で毎年欠かさず年賀状を出し続けて下さる方が私には3組ある。人との縁や繋がりを大切になさるご夫妻なのだろう。一番長い方は十年を超えた。結婚の翌年に生まれた赤ちゃんの写真が、次の年には大きくなり、また次の年には”下の子が生まれました!子育てに追われてます~”などの手書きの文字が添えられていて。ご夫妻の確かな歩み、豊かな実りが感じられて、年賀状を手にニヤける私。
 それは嬉しいと同時に、恐縮というか申し訳ないというか。律儀なご夫妻のことだから、そろそろ出すの止めようかと迷いつつ止められなくて困っているのではと心配している。だから、この度の喪中欠礼ハガキに限らず、失礼を承知で、毎年こちらからは年賀状を控え、頂いたら、私の嬉しい気持ちを小さい文字でこしょこしょと詰め込んで返す形にしている。今年こそ途絶えるか、いつまで頂けるか……元旦の郵便受けから年賀状の束を取り出す度に、結局は期待している自分を笑う。

 学生時代の友人など殆どが年賀状だけの付き合いになっている。それはそれでいいものだ。普段頻繁に顔を合わせなくても年に一度互いの近況を確認し、思いを馳せる。ひと時懐かしくてホロ甘い。

 時を経るにつれ誰しも状況が変わっていく。疎遠になり途絶えるのも自然な成り行きならばそれでよし。けれど、夫の職場関係は難しい。特別親しかったわけでなく、部署が変わって数年たつ。もう今年で切ろうか出さなくてもいいよねと踏ん切りをつけたところ、先方からは届き、年明けに慌てて年賀状を書く。そんな事があったからと翌年出すと、先方は区切りをつけるつもりだったのか後日返信される。こんなラリーを数年来繰り返している方がある。或いは、こちらからもう何年も出していないのに、欠かさず下さる方がいる。パソコンの住所一覧で自動的に出しているのか、それとも…。返事はいらない、ただこちらが送りたいのだと片想いで出している方が我が家にもあるから、それかもしれないし。そういう場合、先方にはご迷惑だったりするのかしら、もう送ってこないでと思われていたならば申し訳ない限りである。

 年賀状。築いてきた人間関係と、その繋がり一つ一つを自分自身がどう思っているのか、年に一度、自分という人間を問われる気がする。選択を積み重ねていくのだな。