廻る、廻る、

 季節はちゃんと進んでいくのだなぁ、地球規模の気候変動があると言われていても、日本では夏から秋へと移ろう。
 ひと月ほど考え事を巡らせている間にも、たゆまぬ自然の営みが行われていた。彼岸花が咲き、萩の花が揺れ、金木犀が匂い、柿が実り、桜が葉を落とし始めている。

 毎年だいたい9月の25日過ぎ、金木犀が匂ったらハイ今日から秋!と私は勝手に決めている。外出の度に鼻孔を膨らませてその香を嗅ぎするうち、ある日寒さを覚える。あれれもう上着が要るよ、空気が冷たくなったなぁと、午後の柔和な日差しを仰ぐ。

  テラス程の面積の我が家の庭に小ぶりな柿の木が一本ある。前の住人が植えたものだ。私はこれまで集合住宅ばかりで、庭のある家で暮らすのはこの家が初めて。8年になるが、どうやら柿には豊作の年とほとんど実の生らない年とがあるようだ。去年は数えるほどだった実が、今年はたわわでどの枝も垂れ下がるほどに。するとにわかに騒々しくなった。毎日カラスが交代で大騒ぎ。ヒヨドリも来る。アライグマまで木を登っているではないか。
 動物好きの私はこの千客万来が嬉しくてたまらないと同時に気の毒でならなかった。ええそうなんです、渋柿なんです。

 小ぶりながら平べったい愛らしい見た目に、カラスは仲間と争って枝にとまり、もぎ取った実を、食欲と共に落としていく。木の下には嘴の痕を残した実が転がり、日に日に数を増していく。
 この無残な光景を見かねて夫が高枝切鋏と剪定鋏を握り、夕暮れの庭へ出て行った。バケツ山盛り3杯の大収穫である。私はといえば家の中で「柿 渋抜き」「渋柿 保存」を検索。数年前の秋の終わりに一度、残り少なくなった柿をお酒に漬けて渋抜きをしたことがあったが、甘い熟柿を味わえた。今度は数が半端ないので保存を重点に、半分を塩水漬け、半分を冷凍にしてみた。出来れば干し柿にしたかったけれど、それには紐で吊るす為の枝を残して切っておかねばならなかったことを後で知った。

 塩水のほうは1か月ほど漬けておけるらしい。冷凍する分は皮を剥いて4つ割りにしてビニール袋に入れて冷凍庫へ。3日で抜けるというが果たして。念の為に1週間おいて一昨日恐る恐る1つを半解凍にして頬張ってみた。渋くない! 良いお八つが手に入ったとほくほく。昨日も朝から冷凍庫から3つ4つと出してきて立て続けに食べていたら、寒くてたまらなくなり、正午に湯船に浸かる始末。あ、渋抜きに、ビニール袋に入れた渋柿をひと晩残り湯に浸けるという方法もあるそう。

 渋の抜けた柿は、スーパーで売られている柿のように甘くはなく、そっけないほどあっさりした味だ。それでも自宅の庭に果物が生るなんて素敵じゃないの何たって無農薬、肥料もやったことがないのに、と考えたところで、あっとなった。

 我が家の元野良アポロにゃんは狩りの名手である。夏の夜、外出しては、どこで狩るのやらカヤネズミを咥えて帰ってくる。この夏は少なかった(家人に取り上げられないよう胃袋に隠していたのか?)が、昨夏は頻繁だった。アポロは悪くない。本能である、優秀なのである。しかし息も絶え絶えなネズミを見るのは辛かった。アポロが口を離した隙に亡骸を取り、翌日、お弁当(ウサギ用の乾燥フルーツや雑穀など)を持たせてネズミを埋めた。それが、くだんの柿の木の根元だったのだ。

 なんともいえない複雑な感情が湧きおこり、でもそれはすぐに静まって、これこそが正しく自然の営みなのだと知らされた。いつか私も誰かの滋養になれるかしら。命のサイクルの中にありがたく加えて頂こうと決め、またひと切れ口に入れた。