<私の浄心行-2>

<これは私の内面の断捨離、勝手な心情吐露です、遠慮なくスルーして下さいね>

 

 私が小学校へ入学する3か月前に母が亡くなり、父子家庭となった。
 父自身、両親が不仲で祖父母に育てられ、故郷を飛び出すように離れた為、幼子を面倒見てくれる親戚は身近にいなかった。気難しい父は母方の親類によく思われていなかった。
 母方の祖母はそれまでも時々田舎から出て来てくれていたので、母の葬儀の後も幼子の面倒を見る為に残ってくれたが、父と度々口論になり、田舎に帰っていった。
 祖母はうちを出る時、私に言った。
「お父さんにあんまりお酒を飲ませないよう、あなたが止めなさい」
 当時紳士服販売を自営で行っていた父は、幼子を抱え仕事に行けず、うちにいて、昼間からビールを飲んでいた。夜まで飲み続けに瓶ビールを何本も空ける。体を壊す、と祖母が心配するのは当たり前だ。
 母が亡くなって、父まで病気で死んでしまったらと、6歳の私は考えた。飲まないでと度々訴えてみたが、父は「お前が心配せんでも大丈夫や」と穏やかな笑顔で取り合わない。
 ある日、何故お酒を飲むのかと私が問うと、父は「飲むと辛いのがぼんやりして、少し楽なんや」と言った。が、父は幾ら飲んでも酔えないようだった。病気になって死んじゃうよと私が言うと、父は「お父さん早く死にたいんや、死んでお母さんの所へ行きたいんや」と穏やかに悲しそうに私を見つめた。
 その日以来、私は父のお酒を止めるのをやめた。
 仕方がない、大好きな父が辛いのは可哀想だから。
 父は体を壊して死ぬ。父もいなくなって、後には私と弟だけが残される。これだけは訊いておかねば。「おとうさんが死んだら、誰に連絡したらいい?」 お葬式をして、その後、私と弟はどうやって生きていけばいいのか、も。多分施設に行くことになるだろうと父は言った。私がどんなにしっかりしていても、未成年では自分達だけで生きていけない。せめて高校生ぐらいだったらと、父は言うが、父のお酒の量では私が小学校を卒業するまでに父は死んでしまうだろう。
 その日をずっと覚悟し続けて成長したが、なんのことはない、父は85歳まで生きた。