<私の浄心行-1>

<これは私の内面の断捨離、勝手な心情吐露です、スルーして下さいね>

 

 父が亡くなって1年が経った。
 葬儀で弟が父の亡骸にありがとうと言った時、その言葉を、私は自分がまだ父へ掛けていないことに気付いた。出棺前の最期のお別れの場面である。急いで掛けようとしたが、その言葉は、私の心の中のどこを探しても見つからない。
 途方にくれたがこの期に及んで形だけの感謝を伝えて何になる、無いものは無いのだ。だからただ感じたままの『ようやく帰れるね、よかったね』だけで送った。
 そしてそのことが課題として残されることになった。
 私はなぜ父へありがとうを言わなかったのか。
 妻を病で亡くし、幼い子ども2人を育てた父。昭和一桁生まれの偏屈雷親父ではあったが、暴力を振るうようなことは一切なかった。持ち前の器用さで料理から裁縫までこなせた父。現に私も弟も餓死することなく成長してそれぞれの家庭を持って生きている。
 高校を卒業するまで、むしろ私はお父さん子ですらあった。
 それなのに。大人になった私の内からは父への苦々しい思いがとつりとつりとこみ上げてくるのだった。
 特にこの一年は、これまで夫に話したことのなかった子ども時分の幾つかが口をついて出た。別に隠そうと思っていたつもりはない。父が亡くなったことで私自身がようやくそれを口に出すことができたのだろう。

 お隣の、母親程の歳のSさんとは以前から親しくお付き合いを頂いている。真理や哲学に精通しておられるSさんとの会話はいつも私に学びと気づきを与えてくれる。
 数日前、Sさんと電話中、話の流れでSさんから「どうもあなたの中には尖ったものがある。子どもの頃はどんなだったの?」と尋ねられ、振り返って私はこう答えた。
「高校を卒業するまでは毎日が闘いでした」
 そう、私は、一日も心安らかだったことはなかった。常に不安と焦燥を抱えていた。
 同級生である夫は、中学時代の私を「抜き身の刀を持って歩いていた」と評する。今はもう闘う必要なんかないのにまだ私は刀を抜いたまま持っているのだろう。
「一度全部吐き出して見なさい」とSさんは言った。
 そうすれば私は刀を捨て、取り戻せるのではないか、父への「ありがとう」を。
 
 Sさんとの電話を終える段になって気づいたが、それは奇しくも父の命日だった。
 これからゆっくりと心を解いていってみようと思う。