泣くのを、卒業

 ひとつずつ、ひとつずつ。

 5月に亡くなった義父の百か日がちょうどお盆に重なるので、住職の奨めで後へずらすことになっていた。日時についてはこちらからご住職へ改めて電話で相談するつもりを、忘れていて、お盆明けに慌てて連絡。なんとか8月中に済ませることが出来た。

 事前には仏具を整えたり、お布施やお供えを用意したり。だけなのだが、お布施の額には頭を悩ませた。どのくらいしたらよいかが分からない。身近に教示頂けるような親戚知人がおらず、私がネットで検索するものの、ケースバイケース。ポイントは普段から住職にお参り頂く頻度と、その法事にあげて頂くお経の長さ、ということは分るが百か日ってどうなのよ、が解決しない。

 ネットでは相場は1~3万円。これにお車代・お膳料が要る、要らない。う~む。

 義父の葬儀でお世話になった葬儀社の方によれば、百か日はそれほど長いお経ではなく、1万円で十分と仰る。プロがそう仰るならと、ひとまず心を決めた。

 しかし当日、迷い復活。お越し頂いた住職の背中を、夫と並んで見つめ、読経が始まった時、私は考えた。お経が15分までなら1万円、それより長ければ2万円、と。そして時計の針をちらちら窺う。もう煩悩の化身でしかない私(笑。

 お経が終わった瞬間、お茶の用意に台所へ立ち、お布施の袋に万札を2枚包んだ。読経時間は17分。加えて今日は住職に過去帳の記入をお願いするのでそのお礼と思えば妥当だろう、と。

 ところで、百か日法要は卒哭忌(そっこくき)とも呼ばれ、この法要をもって、残された遺族は「哭(な)くことから卒(しゅっ)する(=終わる)」、つまり、悲しみに泣きくれることをやめる区切りなのだそう。

 住職をお見送りしてホッとしたのも束の間、来週は昨秋亡くなった私の父の一周忌法要、年内に義父の納骨が控えている。

 法要毎に亡き人は遠ざかり、私達はゆっくりゆっくりさよならをする。