朝、喧嘩をするということは

 朝は夫と喧嘩しないようにしている。これから仕事に行く夫の気分が余計に重くなるのは避けたいし、私だって日中ずっと腹を立てているのは嫌だ。

 それに何らかの事故で夫がそのまま帰らぬ人になったら、喧嘩別れになってしまう。

 だから、私の心に引っ掛かりが生じても、夜まで話さない。(これはこれで怖い?)

 けれど今朝のように、夫だけが私へ苛立つ場合には…。

 出勤する夫とスクーターで駅へ向かっている時に、私の言った事が気に食わなかったようで、ヘルメットを脱ぐと、改札へ続くエスカレーターのほうへ足早に歩きだした。

 そして、いつもなら、手こそ振らないものの、途中で3度振り向いてくれるのに、今朝は最初の振り向きポイントをスルーして行ってしまった。

 ああ。原因は無神経な私だろうけど、ここが悪いと言ってくれなければ謝るタイミングもない。そんなにイライラすること? 無視されることには一番傷付く。

 残りの振り向きポイントだって今朝はきっとスルーだ。見届ける勇気は私にはない、耐えられない。私は俯いて、いつもは電車がホームに入ってくるまで見届けるところだが、スクーターのエンジンをかけた。

 ここで自分に問う。このまま立ち去ると喧嘩みたいになるけどいい? もしもこのまま生き別れになっても後悔しない?

 …こんなこと無いにこしたことはないけれど、今の私は非常に打ちのめされている。無視されるのを見届けても辛い記憶として残るだけだ。

 私は駅のロータリーから走り去った。

 無事に夜になれば何でもない事だ。この程度のことを夫は根に持たないで、いつも通りに帰宅する。私は、話し合って謝るべきは謝りたいけれど、もう夫にとってはめんどくさいことなのだ。これで良くて、これが有り難いのだろう。

 ただ、思う。朝の喧嘩には覚悟が要る。

 昨秋亡くなった父の言葉が浮かんでくる。「悪い事をする時は覚悟を決めて、やれ」

 これはどうも良くない開き直りを私に抱かせるよ、お父さん。