続 )いきものじかん #9’ 最期にひと目…

 (続き) 女の人はご主人に電話してキャリーバッグを頼みます。お二人はすぐ傍のマンションにお住まいで、私が先に掛けた番号はご主人の携帯。聞けば、飲食店で共に働くお二人は毎晩仕事から帰った深夜に猫を探していて、昨夜も午後10時半に仕事から帰宅し、その後、午前2時半まで外を探して歩き回っていたから、ご主人はあまりに疲れていて、携帯が枕元で鳴っても起きられなかったらしいのです。

 今度はなんとか繋がり、ほどなく来られました。奥様に促され、溝の中を覗き、「あ、〇〇や」。ホンモノの○○や…これまで一カ月の間、必死で探しても見つからなかったので、半信半疑でここへ来られたということが、その力の抜けた声から察せられました。ああ本当に良かった。

 ご夫婦揃い、キャリーバッグが届いたところで、奥様は意を決し、道に這いつくばる様になって、溝の奥へ腕を入れ、猫の体を掴みます。奥へ逃げるかと心配しましたが、幸い猫は抵抗せずに引き出されてきました。ここでご夫婦はようやく〇〇ちゃんの全身を見ることが出来たのです。

 腕に捕えた猫を抱きあげた奥様は涙声で「ああ…体重が半分になってる」、ご主人の構えたキャリーへそっと納めて扉を閉め、ようやくひと心地。 

 しかし私はこの時、嫌な気持ちに襲われていました。引き出されてきた猫が、あまりに無抵抗と言うか、ぐったりとしているのを見て、あれ……この猫、助かるかな、衰弱が酷い…と。

 だから私はご夫婦のお礼の言葉を遮って「早く病院に連れていってあげてください」と追い立てました。

 見つかった、念願かなって私が連絡できた。それなのに、気が重い。見つかったからといって元気だとは限らないんだと、この時初めて気付きました。 

 とにかく、もう私に出来ることは無い。○○ちゃんと飼い主さんは会えたのだ。そんなふうに気持ちを静めていた朝の9時ごろ、ご主人から電話がかかりました。改めてのお礼にしては早すぎる。そう思って出たのですが、案の定です…。

「先ほど動物病院で息を引き取りました」

 ○○ちゃんは慣れ親しんだ我が家に帰り、気を取り直すかに見えましたが、水を少し飲んだきり、ゴハンも食べず、ぐったり。動物病院で見て貰いましたが、衰弱が酷く、そのまま亡くなったそうです。

 敗北感…こういう場合に適切な言葉とは思えませんが、私を圧倒したのはまさに敗北感でした。見つかったってちっとも喜べない。むしろ余計な事をしたように思われてくる。辛くて、重くて。

 

 その二日後だったと思います、奥様がお礼に訪ねてこられ、少しお話出来ました。

 子どものいないご夫婦にとって娘のような存在だった○○ちゃん。臆病で内弁慶の人見知り。だから外へ飛び出してしまったらパニックになっている筈。知らない人に餌を貰えるような性格でない事をご夫婦はよく知っていたから、とにかく一刻も早く探し出さなければと、必死だったのです。

 ご夫婦は飲食店勤務で帰宅は夜10時半。それから深夜2,3時まで探して歩く。それからご主人は少し眠って朝出勤。奥様は早朝5時頃から昼前まで時間の許す限り探して出勤する。

 この生活を、いなくなった6/16から見つかる7/12まで続けられました。

 この間、電柱への張り紙と、近隣宅へのチラシ配布3回。

 この辺りは山のすぐ傍で、2階建て住宅が広がる中に、4階建てのマンションが少し、といった住宅地です。奥様は斜め掛けにしたショルダーバッグに、猫のお八つ、軍手、懐中電灯の3点セットを装備して日夜捜索。ずいぶん遠くの町内までも範囲を広げ、歩き回り、おかげでこの辺りの猫事情にすっかり詳しくなったそうです。うろついている野良猫の分布、どれがボス猫か、野良猫に餌をあげている場所と人、野良猫を嫌っている人に声をかけて文句を言われることも。

「深夜、家のマンションのすぐ裏の山の草むらがガサガサっというので、名前を呼びながら近づくと、猪だったり狸だったり」 こんな事は何度もあったそうです。

「○○の性格を考えると遠くへは行けないだろう、飛び出した後そのまますぐ近くの草むらに隠れたんじゃないかと思っていたんです」

 その予想通りだったのでしょう。ご夫婦のマンションと我が家は歩いて30秒の距離です。山の藪へ潜んだまま怖くて一歩も動けなかった。獣医さんで撮ったレントゲンでは、大腸の中に僅かな残留物があるきり。それは飛び出す前に食べたものだろう、外では餌は恐らく一切口に出来なかった。途中雨が幾度も降ったので水は飲めて、それで命を長らえた。けれど、もう限界…。

 最期に最愛のパパとママに一目会いたい。意を決して人目に触れる場所へ姿を現した。

 そして猫が選んだのが我が家の前だったのですが、我が家サイドでもこの朝たまたまの幸運が重なっていたのです。いつもなら我が家は夫の出勤前に家の中から電動シャッターを開けてバイクを出しに行きます。この朝は雨ふりでバイクを使わなかった為、シャッターは閉じたままでしたが、もしも開けていたら、猫はシャッターに体を寄せて横たわっていましたから、きっと驚いて逃げてしまったと思います。それから、夫の出勤がこの日に限って5時半、まだ誰も通らない、静かな時間帯でした。もしもいつも通りの6時半だったら、それまでに人や車の行き来に猫はやはり隠れてしまったかも。

「よっぽど帰りたかったんでしょうね…」

「ええ。助かりませんでしたが、最期は私の腕の中で看取ってやれました。それだけがせめてもの救いです。生死も分からないままだったら…」

 見つからなかったら、このご夫婦はずっと、おそらく何年も探し続けたでしょう。

「私だったらそんなに頑張れません、本当によく探されましたね」

「…私達が諦めたらそこまで、諦めたらそれで終わりだと思ったので」

 ○○ちゃんの最期の親孝行だったと思うのです。