思い出はキツネ色

 毎年5月初めに地域の大々的なお祭りがある。道路沿いは軒の高さにしめ縄が張り巡らされ、幾つかの町内からそれぞれお神輿を担いで神社に終結する。その賑わいを、ここに越してきて8年弱の我が家は遠巻きに見ている感じだ。
 ホコ天と化した道路に並ぶ屋台を眺めていて、思い出したのが父のカルメ焼き。
 父は、機械いじりから洋裁まで何でも見よう見まねでやってのけたほど器用だった。私が小学生の頃には、父はお八つに、ドーナツやホットケーキ、おはぎ、ゼリーにシャーベット…いろいろ作ってくれた。
f:id:wabisuketubaki:20180425155901j:plain ある時、「実はこれは失敗してばっかりなんや」と言いながら作り始めたのがカルメ焼きだった。父が子供の頃、縁日で売られていて、作る様を見たという。お玉にお砂糖を入れ、火にかけ、焦げないように融かす。それを、ちょいと重曹を付けた箸先で混ぜると、あらあら不思議、一瞬で膨れてお玉の上でこんもりとドームになる。そのまま固まって、サクサクの香ばしいカルメ焼きの出来上がり~~の筈が、父のドームは次の瞬間に萎んでしまう。「これだけは何度やっても上手く出来ないんや」あとにはキツネ色の液状の砂糖があるだけ。仕方なくお皿に流し、冷やし固める。父はがっかりしていたが、完成形をついぞ知らない私はお皿に出来る板状の飴がとても美味しくて大好きで、この”失敗カルメ”飴を自分でも作った。
 時は流れ、パソコンを使い始めた頃、思い出してカルメ焼きを検索した。
 お父さん、材料が足らなかったのよ、卵白が必要だったの! 箸先で加えるのはただの重曹じゃなく、メレンゲ状に泡立てた卵白に重曹を加えたもの、だったのよ!!
 戦前に小学生時代を送った父にはメレンゲなんて分からなかったのだろう。それが幸いした。ただ一つ、父が作れなかったからこそ、私には特別なものになっている。