親も昔は子ども~1粒で2度美味しい

 授業参観、親に来て貰ったのは1回きりだったのか。小学2年の国語の授業。覚えているのはこの時だけだ。
 母が亡くなったのが私の小学校入学の3か月前。狭い町内で若くして病死した母の噂を知る人は多く、父や私に憐みとちょっぴり好奇の眼差しを浮かべた。父はそれが嫌で、また40余年前には参観日に来る男親は殆どおらず目立つからと来なかった。
 父の気持ちは子どもなりに分ったが、やはり私は子どもだから、来て欲しくなった、他の皆みたいに。それであの朝は何度も頼んだ。父は必ず行くと約束してくれた。
 参観授業は午後だった。給食が終わると、ぽつぽつとお母さん達が教室の後ろに並び始めた。扉口に人影が立つ度振り向くが、父はまだだ。そのうちお母さんでひしめいたが、父の姿はない。授業が始まった。あれ、あれれ…いや私が見つけられないだけだ、誰かの陰になって。だって、約束したもん。
 父に良いところを見せたくて、私は何度も手を上げた。何度も後ろを見て先生に注意された。そうして時間が過ぎて行った。終わると後ろへ走っていって父を探したが、三々五々帰っていくお母さん達の中に父はいない。来なかったのだ。約束したのに…。
 目に涙をためて家に帰り、父の顔を見るなり、地団駄踏んでひっくり返って泣き喚いた。すると父は言った。
「お父さん、行ったで」
「うそやっ」
「ほんまや。お前、本読む声小さかったぞ。お父さんいつも言うてるやろ、大きい声で読めって」
「…おらんかったよ」
「後ろのドアの外から見てた」
 時間ぎりぎりに来ると、中は既にお母さん達でぎゅうぎゅうだった。それに。
「じろじろ見られるのが嫌で、よう入らんかった」
 父は来てくれていた。約束を守ってくれた。もう十分だった。そして父が可哀想だった。だから私は宣言した。
「お父さん、もうこれからずっと授業参観には来なくていいよ。お父さんがいてもいなくても、いつも通りにちゃんと頑張るから」
 以来、父は来なくなったが、私はちっとも寂しくなかった。

 ところで、父はどう思っていたのだろう。
 これまでは子ども側から振り返るだけだった思い出のひとつひとつに、この年になって、子育て中の方のブログを読ませて頂き、親側の胸の内へ思いを馳せることが出来る。新鮮な喜びだ。