美しいものは、客観的な存在ではなく、主観的に捉えるものだと書いてあった。そこに在るのじゃなく、人の心が見出して、初めて”そこに在る”と。
瞼を閉じたままでは無いも同じ。蝶を見ても、ある人には毛虫が飛んでいるにすぎない。これ、私のことだ。蝶は苦手で、美しいと思えない。鱗粉を振り撒いていると想像してしまって、蛾も蝶も同じなのだ。
あるものを美しいと感じられるためには、自分の中にそれを美と認識できる心があってのこと。
なるほど。
そこへいくと、桜の花は凄いじゃないか。誰が見ても美しく、胸を打つ。こんなにも待ち焦がれられる存在があるだろうか。私たちの心に桜の美を受け止めるレセプターはいつ頃どうやって用意されるのだろう。
ニュースによれば関東はもう開花しているが関西はまだだ。
先週の暖かかった数日で一気に膨らんだ蕾は、この数日の冷たい雨に待ったをかけられた。それでも昨日、買い物帰りに見上げた枝には勇み足の数輪が。
この雨が上がれば、ああ。