私がいなくなっても

 外から地球を見た宇宙飛行士さん達は人生観が一変すると聞いた事がある。そこまでは及ばないが、5年前に人生初の入院手術をしてから、自分の何かが変わり始めたと感じている。
 見るものが新鮮で、気持ちが外へ誘い出されていくような伸び伸びとした感覚。元々あまりなかった物欲が更に減った。家をひと月離れたからだろうか、生活に必要な物なんて僅かだと思うようになった。あとは要らない。身軽に生きたい。
 すると、箪笥に詰まった衣類が気になりだした。私はいつも同じ物ばかり着る。あとの物は袖を通すことなく眠ったままだ。Tシャツ1枚とっても何年ももつ。とすると、今ある物だけで80歳までいける、40代の色柄だという問題はおいといて。随分処分し、目下、新たな購入ストップ中。
 人生の転機なのか、片付け物が続く。
 昨秋に父が亡くなってから、先日から実家の遺品を整理している。母はとっくに亡くなったのに、和装用のビーズバッグが残っていたり、私の高校時代スキー合宿のゴーグルが出てきたり、中学時代のスケッチブックがあったり。
 こうして古き物たちと向き合うと価値観がこんがらかってくる。これは以前、夫がバイクで転倒した時にも考えたことがあった。夫の怪我は日が経てば治るのに、夫の大事なバイクの傷は消えることがなく、夫はいつまでも悲しんでいる。
 大好きな向田邦子さんは亡くなっても、彼女の作品は永遠に存在を留める。
 物と生きている人と、どちらが尊いだろうかと。いや、違うな、物が尊くなるのは、人の想いが籠るからだ。やっぱり、人の魂の価値、勝ち。