生きていく、生きていける

 十年ほど前、父が施設へ入ることが決まった時、実家(と言っても借家住まい)を引き払った。家財を随分大胆に処分したが、踏ん切りのつかなかった物は弟がトランクルームで保管してくれた。それを、父も亡くなった事だし、整理してしまおうということになった。弟の家を訪ねると、リビングに段ボール箱5、6個を出してくれていた。
 私達の子供の頃の成績表、文集や答案、図画、賞状、宝物だった雑貨の類い、友達と交した手紙の束、七五三の帯飾り、結納飾り、とうの昔に亡くなった母のあれこれ。
 私が6歳になって間もなく、母は33歳で亡くなっているが、アルバムは何冊もあった。結婚後のものに加え、自身が幼少、学生、社会人時代のスナップの数々。他には大人になってから嗜んだお琴の譜面群と、風呂敷に包まれた書道の作品の束。
 父は私の字が下手だと叱り、「お前のお母さんは字だけはバツグンに上手かった」が口癖なほど母の字を褒めたが、私達は見た事がなかった。母の字が残されていたのだ。畳まれたままぺしゃんこの半紙を弟と広げてみた。
 好みもあろうが、私が生まれてから今まで見た中で、一番綺麗な字だった。
 一通り眺めたが、書道しかり写真しかり、すべてを眺めていては作業が進まない。要らないものは義妹が捨てると言ってくれていた。いつまでも嵩張る箱を置いておくのは義妹に迷惑がかかる。私はとにかく残したいものだけを選ばなきゃ。
 ええいっ、母の若い頃の白黒写真のアルバムは「もう捨てていいよね、お母さん以外の映っている人なんか全然分からないし、この先見ることもないよね」と言うと、弟は「供養に見納めとこう」とパラパラとめくった。
 私の幼少期の写真も処分を決めた。子どももおらず、将来誰も見ないだろうから。
 アクセルとブレーキを交互に踏むような2時間の末に、私は持ち帰る物を段ボール1箱と紙袋1つに納め、弟に車で運んで貰った。残したものは大半が学生時代の友達の手紙。メールのない時代だから、結構な量だ。捨てるにしても一度目を通したい。それには時間がかかるからという理由だった。
 夜、帰宅した夫に、ふいに自慢したくなって、「お母さんの字がさ、引くほど綺麗だったの」と話した。話したら、見せたくなった。持ち帰った段ボールを探った。ところが、出てこない。あれあれあれ。ない。私、残してないんだ。そうだった、もういいやって、手元に置いといたって私にしか価値がないもので、今までだって見なかったし、この先も仕舞い込むだけ、最後に見られたし、もういいやって決めたんだった。そうかぁ。残さなかったんだ。夫に向き直り、「ごめん、ないわ」と言いながら、一枚だけ残そうかと考えたもののキリがないと諦めたのを思い出した。何せ急いだからな。
 翌朝、夫が「弟に電話しなよ、何も捨てることないじゃない、昨日の今日だしまだ間に合う、俺も見たいし」と言った。それは全く私が考えていたことだった。それなのに、夫の言葉を聞いて、私はなぜか反対方向へと動き出した。
「捨てるって決めたからいいの。処分するのだって手間なのを(義妹)さんにお願いするのに、今から”やっぱりあれは”なんて言えないよ」
 そう言うと泣きたくなった。夫も悲しそうな顔になった。「いいから電話しなさい」と何度も言ってくれた。その度に「もういいの」と返事した。返事しながら私は、良かったとしみじみと思っていた、この人が居てくれて良かったと。