たそがれどき

 おととい、夕食の準備で流しに立っていて、ふいに”ああお父さんはもういないんだ”と思い出し、ふうわりと寂しさが漂った。亡くなった時から淡々と受け止め、変わりない生活を送る自分を俯瞰し続けてきたが、3ヶ月半経って、これが初めての心底からの実感ではないか。私と父の場合は、むしろこれから向き合えるのかもしれない。そう思えて嬉しくなった。
 あとからあとから、時間を経て気付けることがあるのだ、あれやこれや。
 殺人事件を起こした犯人の生い立ちが話題に上った。厳格な親から体罰を受けていたらしい。私の父も怖かったけどなぁと記憶を辿り、今になって気が付いた事が。
 父は13歳で終戦を迎えている。学校で教師が生徒を叱る際に殴るのなんて当たり前の時代の人だ。現に父は厳しかった。私も弟もよく叱られた。怖かった。しかし、痛かった、という記憶がない。手を上げられたことはないのだ。
 小学1年の時、父は私に家で毎日2時間みっちり勉強をさせた。机に向かう私の後ろに父が竹の30センチ物差しを持って立ち、私が余程もたつくと、肩の辺りをぴしゃりと打たれる。その際、縮み上がったが、痛くはなかった。
 父は独身時代に大型犬を幾頭も飼っていた。犬を躾ける時、叱る時、新聞紙を丸めて叩いたそうだ。「パシッと大きな音がするわりに痛みがない、叱られたというショックを与えれば十分なんだ」と言っていた。「お前達を育てるにあたって犬を躾けた経験がとても役に立った」とも。
 父は時々怖い顔のお面を着けていたのかと、今になって考える。まだまだ発見がありそうだ。

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