天使たち?

 日曜日のお昼時、饂飩屋さんの店内は賑わっていた。夫と席に着くと、お子さん連れのご家族があちらにもこちらにも。パパママの間で箸を握りしめる幼児のぷっくり丸っこい手指を垣間見ていると、通路の向こうの座敷卓で掴まり立ちをする赤ちゃんが目に留まった。立ってはいるがまだ1歳に満たないだろう、危なっかしい背中をママが支えている。赤ちゃんの表情を見て、おや、と閃くものがあり、隣の夫に、
「ねえ、向こうのあの子、可愛いんだけど、こんなこと言うと親御さんは気を悪くされるかもしれない、悪い意味に取ってほしくないんだけど、まだ人じゃないというか、目がさ、まだ魂が入ってない感じがしない?動いているけど、意志がないというか」と言いながら、表現を探り探り、続けた。
「あのね、亡くなり方にもよるだろうけど、人って亡くなる1週間くらい前から少しずつ魂が抜けて、あの世と行き来を始めるって聞いた事があるの。ほら、16年前、お義母さんが亡くなる数日前に病室のベッドで、嬉しそうに『藤棚の下でおじいさんとおばあさんが楽しそうに話しているの』って話してたの。あの時は、モルヒネのせいで朦朧としているからだと思ったけど」 義母は末期の癌だった。
「藤棚の光景って、あれはお義母さんは天国を見てたんじゃないかなって、最近になって思うようになってたの」
 夫は話の帰着が見えず、相槌を打ちかねている。
 私は最近こんな話も聞いていた。ある児童教育セミナーに参加した方から。生前の記憶を持つという小学生数人へのインタビュー映像だ。子ども達は天国みたいなところのスクリーンみたいなものに映し出された幾組のカップルの中から『この夫婦の子どもになる』と選んできたと語っていたとか。
「で、あの赤ちゃんなんだけど。あの目を見て、もしかしてと思ったの。人は亡くなる時だけでなく、生まれる時も魂がしばらく天界と行き来をする時期があるんじゃないかな、って」
 そして、この世に定着した時が”物心がつく”と呼ぶ時期。
 突拍子もない妻の話に、夫は否定も反論も加えず、
「まあ、確かに、あの子がもしゴジラ位大きかったら、何の躊躇いもなくビルを踏んづけて、街を壊すな」と笑った。
 その時、くだんの赤ちゃんがママの抱っこひもに納まって店を出て行った。

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