絶対になくしたくないもの

 外付けハードディスクが昨日から開かない。パソコン本体を軽くしておきたくて、私も夫も保存したいものは写真でも文書でもすべて外付けへ入れていた。ふたりで「え~?!」となり、「ちょっと待てよ」さしあたって何が困るだろうかと考えた。夫は、お気に入りの類いは勿論、取説的な物やちょっとしたブックマーク等をこの十数年にわたって丁寧に保存していたから「ちょっとした財産だぞ」と力なく言ったが、仕事には一切使っていなかった。私は、仕事関係一切が入っているが、仕事はやめているから困らない。あとは写真やイラストが少しと書き溜めた文章。惜しいが、イラストも文章も又書けばいい。そう惜しい、それだけ、私が。
 今秋亡くなった父のお通夜の日、夕刻までは時間があり、葬儀場から近い弟の家へ荷物を見に行った。十年ほど前、父が施設へ入る際に実家から運び出してそのままになっていた品々の、今後の処分の為の確認だ。父の身の回りの品が少し、後は私と弟の幼い頃のアルバム、おもちゃや私の七五三参りの髪飾り、学生時代の卒アル、文集等々。これはあの時の、それはその時のと、弟と昔話をし、同行していた夫に聞かせる。
 しばし感慨を味わったが、私は言った。「もう全部要らないかな」
 夫が驚いて私を見た。「ええッなんで、大事な物ばかりでしょ」
「私には思い出深いけど、今の生活には全く要らないし、困らない、きっとこの先も」
 すると弟が。「俺も、最近そう思うようになってた。俺には大事なもので、あの時は捨てられなくて持ってきたけど、俺以外の人には何の価値もない。この先俺が死んだら、子どもが処分に困るだけだなって」 
「うん。大事なのは物自体じゃなく、まつわる思い。それは胸に持ってればいい」
 牛乳を入れたあったかいコーヒーや、おやつのチョコレート、ヘビロテのセーター、大好きな歌……手放したくないお気に入りは沢山ある。ないとじだんだ踏んじゃうかも。けれど、失くして私を打ちのめすことが出来るのは、それは大切な人や生き物と共に生きる時間だけ。

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