あの頃眠れなかった父は

 明日は父の四十九日法要。過ぎた40余日が長かったのか短かったのか全く分からない。私は泣かないまま、毎日に何ら変化も見えず、元々ナマケモノではあるが、益々ぼんやりしている時間が多くなったかな。これって心の深い所では悲しくてウツ傾向なんじゃ…と思いかけると、頭の中で父の声が『自分の怠慢を父さんのせいにするなよ』と響くから、その度えへへと笑ってしまう。
 実のところ、私の奥のほうで動いている何かはあるのだろうか。時折自分の意識のスキャンを試みるのだが、やはり全く分からない。
 断片的に思い出すことがある。
 例えば父と見た深夜のTV。小学1年生の時、父と毎晩夜更かししていた。弟は疲れて午後8時には眠り込んでしまっているのだが、父は寝ない。早々に布団を敷いて父を真ん中に川の字、照明は落としてあって、TVの光だけが壁や天井を瞬かせる。ゴールデン枠の時代劇や刑事ドラマ、9時からの映画は11時に終わる。そこでニュースなんかを挟む一呼吸に、父が隣の私を見て「お前はもう寝ろよ」という。
「おとうさんはねないの?」
「うん、眠くないんや」
 深夜枠の再放送ドラマが始まる。「コンバット」や「チャーリーズエンジェル」、「スパイ大作戦」…。
 終わってしまっても、父は眠れないが、これ以上は子どもの教育上よろしくないとTVを消す。「さあ寝るぞ」
「おとうさんはねる?」
「寝るよ」
 しかし暗闇で父が目を覚ましているのが分かる。私はとりとめのない事を父に問い、父は答えてくれて、いつまでも続く。これではイカンと、或は父は面倒くさくなって、「さ、もうお話やめて寝るぞ」と打ち切る。
「だって、ねられないよぅ」
「寝られんでも目をつむっていなさい、そしたら寝られるから」
 仕方なく言う通りにするうちに小学1年生は眠ってしまうが、父は眠れないか、うとうとする程度で、朝刊が差し入れられる音で起きてしまうのだった。
 夜更けの天井にはカーテンとレールの隙間から街灯が差し込んで作る斜めの点線が出来ていた。父は考え事をしていた、昼となく夜となく。その年の初めに妻に先立たれ、呆然自失の真っただ中だった。
 『オーメン』の、屋根から落ちて刺さる十字架、少年の後頭部を剃ったら現れた「666」、ガラス板を積んだトラックがバックして起こる事故、ラストで振り返る少年の顔。『大脱走』で掘ったトンネルを這う兵、銃撃や追いかけてくるシェパード、バイクと土煙。子どもには怖い、同時に子どもだからよく分からなくて見られたホラーや戦争ものの映画のシーンが今でもふいっと浮かんでくることがある。