ミッションコンプリート

 亡くなって明日で2週間になるのか。
 通夜の読経が流れる中で、遺影の父の表情が晴れやかになっていくのを感じた。
『やっと帰れますねん』
 そう言っているように見えた。
 私は輪廻転生を信じている。人は幾度も、気が遠くなるほども生きて、様々なシチュエーションに置かれ、課題をこなし、魂を磨いていくものだと。
 この度の父の生は過酷だったと思う。
 父を産んで間もなく母親が亡くなった。父親は早々に他府県で再婚した。父と姉は母方の祖父母に育てられた。祖父は酒乱、祖母は限りなく優しかったが、親のない寂しさは埋まらない。社会人になって数年後に祖母が亡くなったのを機に、父は故郷を捨てるように離れ、今の町で働き、母と出会い、結婚した。気難しく奔放な父に、母は従順に応じながら、子を産み、理想の家庭を作るべく奮闘。父は生まれて初めてつつましくも温かな家庭を手にいれた。さあこれから。その矢先に、母病没。幼子を抱え、悲しみに暮れることさえ許されず、頼る親類縁者もなく、しかし自らの父親のように子どもを捨てたくはない。手先は器用だが生き方は不器用な父の苦しい子育てが続くことになった。
 私が小学生の頃、父は何度か「お母さん(自らの妻)のところへ行きたい」と言った。その度に私は引き留めた。それは自分が困るからだ。この上父にまで死なれてはどうしたらいいかと不安だった。しかしその後の父を思うと、ああ父を早く死なせてあげたら良かったと今では後悔している。
 父は仕事自体には人一倍生真面目に取り組むが、上司に理不尽な事や意地悪を言われると、途端に頭にきて辞めてしまう。我慢が出来ないのだ。こんな事を繰り返して経済的にも追いつめられていったし、子(弟)は思春期で思うようにいかない。
 やがて植木の仕事にやりがいを見出すも身が入りきらないまま年老いていった。弟と私が結婚して独立して気が抜けてしまったのか。困り事を起こすようになり、子には疎まれ、そのうち認知症も出始め、施設で暮らすことになったが、それからの数年は父にとっても家族にとっても穏やかな年月となった。
 父のこの人生っていったい何だったのだろうと思わずにはいられない。せめて最後の数年を子らで盛り立ててあげれば違ったものになったかもしれないが、しないままになった。
 こうして85年の長い時間をこの世で過ごした父が、やっと解放される。
 よかったね。やっと帰れるね。
 これが葬儀の間中、私がずっと思っていた事だった。