悶々と、犬も食わないことを

 今回は堪えた。それでついひと月ほど筆を握りかねていた。

 一瞬にして天国から地獄。喧嘩してしまって、あれれとなる。あれれ。仲のいい夫婦のつもりだった自分を嘲笑う。
 これまでだって全くなかった訳ではないし、自嘲をこめて喧嘩と言うが、私にとって、これを夫婦喧嘩と言うには、発端は些細だけれど大問題で、しかし世間的にはやっぱり夫婦喧嘩と言うのだろう。
 先月末の朝だった。
 布団の中の夫へ声をかけ、私は朝食を並べる。夫は洗面台でシェーバーを使った後、食卓に着く。季節がらお味噌汁だけは冷めないようにと、夫が座る頃合いを見計らって出す。
 その朝はアツアツに温め過ぎた。夫は白飯とおかずの器を空にしてなお汁椀を飲み干せずにいたので、私は詫びた。「ごめん、熱かったね。冷めないように一番最後に出すようにしてるのが裏目に出ちゃったね…」
 すると!
 「え? ちょっと待って…。俺は俺で、早く食べられるよう冷ますつもりで調整して座ってたんだよ。これじゃ食事に時間がかかっていつまで経っても着替えられないよ。どこまでも平行線だよ。今度からそういうことは黙ってやらずに言葉に出して言って。こっちも考えてやってるんだし、俺の行動を勝手に操作するようなことはやめて」
 「……ごめん……」
 こんなにキツく言われると思っていなかった私は面食らった。謝ったものの、悪気があったわけじゃない。いや悪気がないからこそタチが悪いのか。いやそれにしても納得がいかなくて。
 「気を利かせたつもりが空回りなのは申し訳なかったし、自分で自分が恥かしいけれど、”操作”という言葉は強すぎない? それだけは謝って。”操作”という言葉だけは訂正して!」
 夫は束の間考える表情を見せてから「いいや、あえて、訂正しない」と断言した。
 「これが”操作”なら普段私がしてることは全部アナタにとって勝手な”操作”だよね、余計なことばかりだよね?だったら夫婦として全くかみ合わないじゃない、一緒に暮らす意味がないじゃないっ、離婚しなきゃじゃないっっ」
 「それはまた別の問題だ」
 「別じゃないよっ、あなたは自分を操作しようとする妻と暮らしてるんだよ?!」
 「俺を怒らせようとして言ってるな、その手には乗らん」
 「いや違うよワタシは」
 「職場ではもっと嫌な事言われてる。もうこの話はしない」
と言って、夫は玄関を走り出て出勤してしまった。
 残された私は悶々考えた。キチンと話し合ってくれないなら解決の道はなく、もちろん自分の至らなさが情けなく申し訳なく、もういいや私は夫にふさわしくない。こんな時思う、子どもがいなくて良かったと。ネックは我が家の動物たちの世話。特に超高齢のうさぎ。夫はそれを考えて渋るだろう。しかしそれだけなら私は家政婦じゃないか。ならば当面は日中私が家政婦さんのように通いで動物の世話と夫の洗濯ものなどを片付けることを提案してみよう。財産分与なんていらない。独り暮らしのボロアパートを借りる敷金礼金分だけ借りて出て、あとはパート仕事に出よう。リウマチ持ちだって何かできる。一人食べるだけなら何をしても稼ぐ自信はある。荷物の整理にかかる時間もわずかだ。いつまでに出ていってほしいか、夫の希望を聞き、その通りにしよう。でもいざとなると夫の会社での手続きや世間体とかもあるだろうし、夫の叔父の手前、今年5月の義父の一周忌法事を済ませて、というのが現実的か…。
 これらの話を感情的にならずにきちんと夫に伝わるようノートに要点をまとめた。
 夜、帰宅した夫に穏やかに膝を向けた。この上はアナタの希望に沿いたい、今後どうしたいかと。覚悟を決めて答えを待ち受けた。が。
 「キミは昼間ずっとその事を考えてたんだろうけれど、俺は仕事で全く頭になかった。今すぐには何を伝えるべきか分からない」
 では答えを待ちます、と話を切り上げ、表面的にはいつも通りに行動した。これは私にはキツいことだったが、翌朝夫が「この際ダイエットもかねて当分朝食はいらない」と出勤したのは堪えた。
 その夜、帰宅した夫に再び聞いた、私にも今後の準備があるから早く答えてと。
  追い詰めないでと前置きして、夫はとつりとつり言葉を出した。
 「上手く言える自信がないけれど……俺は出来れば今まで通り一緒に暮らしたいと思う。ただキミの存在が当たり前になってるんじゃないかな。キミのありがたみが分かるよう、暫くは、今までして貰ってた駅までのスクーターの送り迎えをやめてバスか徒歩で通勤してみる、ダイエットにもなるし」
 「私のありがたみなんてない、そんなの分ろうと無理に見出すものじゃないよ、そんな事じゃなく」
 「言ったろ、上手く言えないけどって。今はそれだけ」
 だからそれ以上聞けなくなってしまった。
 そして夫は何事もなかったように振舞い、暮らしている。夫にはこういうカラッとした所があり、グチグチ続けるのも面倒、夫にとっては夫婦喧嘩と流して良い、私の為にも流してくれたのだろう。
 とにかくも夫は答えた。私も今まで通りに、応じている。
 そうして一か月近くになる。結婚して22年も共に過ごしてきたから、表面の波立ちがおさまれば、不自然さもないし、交わす笑顔だって嘘ではない。しかし今回の事は堪えている。何かの拍子にふと”操作”という言葉が浮かぶ。私が何をしようと”操作”でしかないのかな、と。

 実は、口論の数日後にこんな事があった。
 夫からお使いを頼まれた。A4の書類の郵送。封筒には宛名も書かれ、あとは翌日の日中に郵便局に持ち込むだけの状態にして夫は「どこに置いておこうか」と私に問うた。「PCのプリンターの上にでも」と私は返事した。その通りにPCプリンターの上に置かれたが、封筒の下にひと回り大きいピンク色のビニール袋が見える。それは夫がその日帰宅時にクリアファイルを買いに寄った文具店の袋だ。綺麗だからとっておくつもりか。綺麗な菓子箱や紙袋を取っておこうとするような、夫にはマメなところがある。とはいえ実際に片付けるのは私の役目、まあいい明日するさ。
 翌日、さてと私は封筒を手に取る。A4だからまあまあデカい。愛用のエコバッグは布製でクタッとするから封筒の角が折れるかも、何に入れていこうと考えた私の視界にピンク色が入ってきた。あ。…セットで置かれてたんだ。文具店の薄いが腰のあるビニール袋は封筒を入れていくのにぴったりだった。やられたというような思いがして暫し立ち尽くした。

 私は夫を人として尊敬しているし、夫を好きだが、つまるところ無理に私と居てくれなくてよい。それは同級生として片想いしていた中学の時から変わらない。気遣いが”操作”ではなく”気遣い”として受け取れる誰かほかの人と、幸せに生きて欲しい。
 至らぬ妻な自分自身に、今回はちょっと絶望してしまったか。自分がどう反省すべきかもわからない。認めたくないのか、或いは夫が”操作”を訂正しなかったことを根に持っているのか。これまで喧嘩の度、私の落ち度があらわになる度、夫は「反省し改めればいいじゃないか」と言った。何度繰り返しても改める気があるのなら許せる、夫はそんな人だ。夫婦として一生添い遂げると腹をくくった相手との関係……いや夫はもう一々そんな事を考えないのだ。

 -------------- 昨夜ここまで書いたところで夫が帰宅し、PCを閉じた。「おかえり」と言った私の顔を見て、夫は「何かあったのか」と訊いた。「ううん何にもないよ」「ほんとに何にもない?」「うん何にも」
 しかし今朝になっても沈んだ気持ちは戻らない。そんな中で夫が職場における”善意”と”独善”を話題にした。聞きながら私は、私の”操作”も”独善”なのだと思われて、このひと月考えたことを話した。
 「私が置きっぱなしのコップをアナタは台所に持って行ってくれる時、一々声を掛けないし、私はそれを押しつけがましく思ったことがない。かみあう夫婦って、そういうことが意識せずに出来てるんじゃないかな」
 「…う~ん、そうかもな」
 「ね、私達かみ合わなくなってるの。少し距離を置いてみない?」
 私は先日考えた別居プランを改めて口にし、「2年前私が入院した時、アナタひとりで楽だったんじゃない?」。
 「いいや、しんどいだけだったよ」
 この辺りから同居の動物たちのことに話がそれてウヤムヤになった。何ら解決していないが、話せたことでほっとしたのか私の沈んだ気持ちは失せた。これから年月を積む中で、”気遣い”を相手にも自分でも意識させぬほどに纏えるようになれるだろうか。

文字を持たない幼子は(続 幼児作品展より

 気付いてハッとした、これは文字じゃないんだ!!
 ”ヤクルトをこぼした”という画中の『乳酸菌』は、単なる模様。これを描いた子は5歳だからまだ漢字を習う前だろう。見えたままの、酉へんも草かんむりも意味を持たない線としてそこにあるだけ。

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 漢字として読めてしまうから、捉えられなくなる世界がある。

 それで思い出したのが、鶴亀算。大学時代、小学生の算数に頭を抱えたことがある。方程式を使えば簡単なのに、小学生はまだ方程式を習っておらず、鶴亀算で解かなければならない。方程式を知ってしまった私には鶴亀算の考え方に付いていけず、小学生はこんな難解な方法を操れるのかと驚愕した。自分もかつては使えたのだろうか、と。

 既製品の法則を持たないからこそ、幼な子は無限の方法で心を表現する。

 最もシンプルなのは色だろう。どうも大人は頭で分ろうとしてしまう。分からないと落ち着かないのだ。下世話な目で傾向を探った結果、喜びは暖色系、憂鬱は寒色系、驚きは黄色やグリーン。

 "ママ"と題された作品があった。一面くすんだ葡萄色に塗りつぶされていた。他にも母親を描いた作品は多く、赤、オレンジ、ピンクと明るい色使いだったのに、この絵は。展覧会の運営スタッフである友人が近くにいたので疑問をぶつけてみた。幼稚園で働いている彼女は、う~ん…としばし言葉を探してから、こんな事を話してくれた。

 紫という色を使う子には何か心の闇みたいなものを感じることが多々ある。彼女の幼稚園には子ども達の造形制作の指導に何十年も携わるベテランの先生がいるが、その先生は、絵の具を用意する時に、あえて紫色を出さないのだそうだ。ところがある日、ある子が「せんせぇ、むらさきいろを塗りたい」と言い出した。そこで先生は赤と青を混ぜてごらんと導いた。この子は前日に廊下で友達にぶつかった際に頬を酷く打ち、痛みが続いていて憂鬱な面持ちだったという。

 ところで話中のベテラン先生のエピソードが、私にはとても意外で驚いた。私も面識があり、この日も握手で挨拶を交わして下さったこの先生が、子ども達から常識に縛られない伸びやかで無限の表現を引き出せるよう心を砕いてこられたことを知っている。その先生があえて紫色の絵の具を排除していた、というのだ。この先生でさえこんな操作を加えていたなんて。
 紫を使ってほしくない…長年子ども達に寄り添ってこられた先生の、それは唯一独善の願いか。
 或いは幸せな大人になれるよう、私達に、嫌な事があっても安易に紫な気分だと諦めるのではなく、赤と青に分離し解消してしまえる心の道筋を模索させたいのだろうか。

考えるな感じろ、幼子のごとく

 物事は対極の2面性をはらむという。ならば明るいほうを捉えたいものだ。

 

 幼稚園に通う子ども達の作品展を見に出掛けた。昨年に続き2度目である。上手に描こうとか大人ウケを狙うといった邪念がまだない、2~5歳の子ども達の絵や工作がずらり数百点。

 まず保育士さんや指導者が子どもに自由に作品を作らせる。完成後に「これはなあに?」と尋ねる。その時の子どもの答えがタイトルとして書かれる。これが曲者というか、面白いのだ。タイトルと作品がすぐになるほどと納得できる作品は半数以下なのだ。もちろんクジラやワニ、キリンなどそのものズバリな写実派もあるが。

 例えば… 画用紙がピンク一色に塗られた作品のタイトルは『ママとプール行った』。
 プール? なぜこれがプール?? その子が遊びに行ったプールにはピンク色の何か印象に残る遊具か看板でもあったのか。幾つもの作品を見る中で、どうやら子どもは楽しい気持ちを赤やピンクで表し、義務や憂鬱をブルーに塗る傾向があるようだから、このピンクは気分なのか。そもそもプールに行ったのは現実か夢か絵本の話か、TVで観た場面かも不明。もしかしたら発した言葉は絵とは関係ないのかもしれないのだ。

 こんなふうに、作品とタイトルを交互に見ては、脳みそをワシワシと揉まれるような感覚が味わえるのが、この作品展の醍醐味だ。難解なパズル、いや答えなんかないかもしれない。 年端もゆかぬ幼な子に弄ばれながら、大人というものがいかに常識に囚われているかを思い知る。ピンクがどうしてプールなのかと、つい自分の物差しで理解しようと足掻いてしまう。頭はフル稼働、楽しくて、後でどっと疲れる(笑。

 

 真っ白な画面に黒い絵の具で手を広げたような、箒のような線が描かれた作品があった。『羽根が出てきてん。ぴっちゃんがおるみたいで、うれしかったわ』
 ううむ。羽根ということは鳥かな。おるみたい、ということは、いない、のか?
 この答えは、さらに数十点見た後、別の作品で解けることになった。
 青と緑で描かれた鳥に『ぴっちゃん(インコ、と先生が注釈)がしんだ。かなしい』。
 やはり、ぴっちゃんはもうこの世にいないのだ。幼稚園で飼っていたインコなのだろう。がらんとした鳥籠を横目に見ながらどれほどか日が経って、ある日何かの拍子にふわり、ぴっちゃんの羽根を見つけて…。
 先の子は『うれしかった』と。小鳥が死んでしまったことを悲しいと感じるほうが当たり前だろうに、その羽根に在りし日手の中に包んだ小鳥の体温でも蘇らせたのか。喪失ではなく、小鳥がかつて生きていたことに微笑むこの子の感性が、なんて素敵なのだろう、と私はノックアウトされてしまった。

年賀状に人生を問われる

 何を大仰な、と笑われそうだけれど…
 人として生きるというのは、年賀状を誰に出す誰に出さないというような事を思い煩うことではないかしら……
 いえ、クヨクヨ加減は人により程度の差があると思うのですが ^^;

 昨年11月、喪中欠礼ハガキを書く際に迷って出さなかったのが、元”新郎新婦”様だった。私は3年前まで披露宴司会の仕事をしていて、担当したカップルの幾組かから年賀状を頂くことがあった。それは後日改めてのお礼として披露宴の翌年のみであるのが常だ。

 そんな中で毎年欠かさず年賀状を出し続けて下さる方が私には3組ある。人との縁や繋がりを大切になさるご夫妻なのだろう。一番長い方は十年を超えた。結婚の翌年に生まれた赤ちゃんの写真が、次の年には大きくなり、また次の年には”下の子が生まれました!子育てに追われてます~”などの手書きの文字が添えられていて。ご夫妻の確かな歩み、豊かな実りが感じられて、年賀状を手にニヤける私。
 それは嬉しいと同時に、恐縮というか申し訳ないというか。律儀なご夫妻のことだから、そろそろ出すの止めようかと迷いつつ止められなくて困っているのではと心配している。だから、この度の喪中欠礼ハガキに限らず、失礼を承知で、毎年こちらからは年賀状を控え、頂いたら、私の嬉しい気持ちを小さい文字でこしょこしょと詰め込んで返す形にしている。今年こそ途絶えるか、いつまで頂けるか……元旦の郵便受けから年賀状の束を取り出す度に、結局は期待している自分を笑う。

 学生時代の友人など殆どが年賀状だけの付き合いになっている。それはそれでいいものだ。普段頻繁に顔を合わせなくても年に一度互いの近況を確認し、思いを馳せる。ひと時懐かしくてホロ甘い。

 時を経るにつれ誰しも状況が変わっていく。疎遠になり途絶えるのも自然な成り行きならばそれでよし。けれど、夫の職場関係は難しい。特別親しかったわけでなく、部署が変わって数年たつ。もう今年で切ろうか出さなくてもいいよねと踏ん切りをつけたところ、先方からは届き、年明けに慌てて年賀状を書く。そんな事があったからと翌年出すと、先方は区切りをつけるつもりだったのか後日返信される。こんなラリーを数年来繰り返している方がある。或いは、こちらからもう何年も出していないのに、欠かさず下さる方がいる。パソコンの住所一覧で自動的に出しているのか、それとも…。返事はいらない、ただこちらが送りたいのだと片想いで出している方が我が家にもあるから、それかもしれないし。そういう場合、先方にはご迷惑だったりするのかしら、もう送ってこないでと思われていたならば申し訳ない限りである。

 年賀状。築いてきた人間関係と、その繋がり一つ一つを自分自身がどう思っているのか、年に一度、自分という人間を問われる気がする。選択を積み重ねていくのだな。

願いは同じ

 喪中だからとお正月らしいことのないまま年を跨いだが、ここいらは静かな住宅地であるせいか、元旦の朝はきりりと引き締まった空気に満ちていた。
 夫と家で録画したTV番組を見て過ごしたお正月休み、出掛けたのは、大晦日のお墓参りと、3日のお昼の回転寿司のみ。
 スクーターで5分強の回転寿司店へ向かう前に、夫は、私の希望を叶えるべく、ある場所へ寄ってくれた。毎年お正月に私が見たいというからだ。ちらっとでいいのだ、前を通ってくれれば。だって今時珍しい大きくて立派な門松なのだもの。
 それは某暴力団組長宅の門松だ。今年も見事だ。広大な敷地の周りには防犯監視カメラ網が張り巡らされているから、門の前に夫がスクーターを止めたのは筒抜けの筈。私はタンデムを降り、素早くスマホのカメラでぱしゃり。すぐさま又スクーターへ戻り、夫へ「は、早く出してっ」、毎年命がけである(笑。

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 門松は年神様を迎えるもの。一年の平安を願う思いは誰しも同じなのね。
 とはいえ、視点を変えれば目出度いばかりではないらしい。
『かどまつ【門松】 は 冥途(めいど)の旅(たび)の一里塚(いちりづか)めでたくもありめでたくもなし』
 一休宗純作。正月の門松はめでたいものとされているが、門松を飾るたびに一つずつ年をとり、死に近づくので、死への道の一里塚のようなものだの意。

 老いるのはやっぱり嫌だ、いい年を重ねるなんて中々難しいけれど、出来るだけ機嫌よく過ごせるよう、今年もがんばろ~~!
 ご挨拶が遅れ、松も明ける頃となりましたが、今年もよろしくお願いいたします。