脳内出血、その後

 例えば腹が立った時、その怒りが90秒を超えても収まらないのは、自分が怒ったままでいたいだけ…。

 脳出血で損傷を受けた左脳の回復を、彼女はむしろ躊躇した。
 30代で脳卒中を起こした女性脳科学者が自らの体験を綴った『奇跡の脳』。

 左脳が高度な認知力を持つがゆえに他を批判し、過去の辛い経験を学習し、未来に不安や恐れを抱くのに対し、右脳は今がすべてで永遠。体の境界が感じられなくなり、自身は意識というエネルギーだけの存在となって宇宙と一体感を味わった。
 だから、左脳の回復にあたり彼女が危惧したのは”以前のマイナスの感情を起こすプログラムを二度と起動させたくない”という事だった。

 すべてを以前の自分元通りではなく、回復させる”自分”を選べないか。どんな「わたし」と過ごしたいか。

 かつては脳の働きは無意識、自動的なものだと思っていたが、コントロールできることに彼女は気付いたという。

 感情の動きは脳内の神経ネットワーク、回路が生み出すものだ。
 目の前で起こった出来事に対し、自発的に引き起こされる感情プログラムがある。脳内で化学物質が生じ、体内へ広がるのだ。しかし、血液からその痕跡が消えるまで、すべてが90秒以内で終わる。
 これが90秒過ぎても続いているならば、それはその回路が機能し続けるよう、自ら選択した結果である。

 例えば、嫌な事にいつまでイライラクヨクヨしてしまうのは、これまでの人生で自分がそういう思考パターンを育ててしまったからだという。
 脳は高度な学習機能を持つがゆえに、特定の回路に意識的に注意を払えば払うほど、また特定の思考に多くの時間を費やすほど、その回路・思考パターンはほんの少しの刺激で働くようになる。

 ほとんどの人は、自分がどう反応するかを無意識に選択してしまっている事に気付いていない。プログラム済みのシステムにゆだねるほうが楽だから。
 ならば! これを逆手に利用すれば、なりたい自分を選択できるようになる!!

 90秒は脳のやりたいようにやらせる。それが過ぎたら、切りかえて「今ここ」に立ち戻る。自分に呼びかける。いつまでもイライラしていたくないでしょ、と。これを繰り返し心掛けることで、脳のプログラムが修正されて往き、マイナスの思考パターンを改善できる。

 私はこの90秒システムを知って、些細な出来事に関して少しだけ切り替えが早くなった。バイク運転中にマナーの悪いドライバーに遭った時、以前なら嫌な気分を引きずっていたが、『はい90秒過ぎたよ、この怒りはマボロシ~』という具合に。

 

 結びに彼女の言葉を。
「左脳が回復するにつれ、自分の感情や環境を、他人や外部の出来事のせいにする方が自然に思われてきました。でも現実には、自分の脳以外には、誰もわたしに何かを感じさせる力など持っていないことを悟ったのです。外界のいかなるものも、わたしの心の安らぎを取り去ることはできません。それは自分次第なのです。自分の人生に起こることを完全にコントロールすることはできないでしょう。でも、自分の体験をどうとらえるかは、自分で決めるべきことなのです。」

脳内出血、その時

 脳内で出血が起こった時、どんな状態になるか。

 この秋、興味深い本に出会った。『奇跡の脳』、30代で脳卒中を起こした女性脳科学者が、自らの体験を綴ったもの。

 著者はある朝目覚め、激しい頭痛を覚える。体の動きがぎこちない。心と体が切り離されていく感じ。重大な危機を察し、一人暮らしの著者は助けを求めようとするが、その電話が掛けられないのだ!

 その時、著者は左脳に出血をおこしていた。左脳は、言語や認知、時間空間に基づく順序立てた論理と思考、記憶の時系列などを司る。その機能が失われると……自分が何をすべきかが分からなくなる。電話を掛けなきゃという考えが持続できない。電話を目の前に置くと、電話ってなんだ??となる。寄せては返す意識の中、なんとか受話器を握るも、誰に掛けていいか分からない、番号が思い出せない。それでも危機感に自己を奮い立たせ、ひねり出した番号をプッシュ。ようやく繋がるも声が出ない、言葉が出ない。唸り声で窮状を訴えた。結局助けを呼ぶのに1時間近くかかっている。

 この間ずっと酷い頭痛が続き、体という入れものは苦痛にさいなまれていたが、同時に平和な感覚、静けさに満たされていた。いつもなら左脳が間断なく行う脳のお喋り……今日はあれをしなきゃとか、何を着ていこうかとか、昨日の同僚の嫌な発言を反芻したり……が行われず、外界の知覚が薄れていく。時間の流れ、人生の思い出から切り離され、神の恵みのような感覚に浸り、心が和む。高度な認知能力と過去の人生から離され、体の境界がなくなって、宇宙と融合して一つになるような心地良さを味わっていた。

 左脳の働きである、時系列の感覚を失うと、左脳の「やる」意識から右脳の「いる」意識へ変わる。今がすべて、目の前にあるものがすべてで、何もかもが美しい。というのは、左脳が普段行う比較や批判が行われないから。自分の意識や肉体と外界との境目が分からなくなり(宇宙に溶け込み抱かれたような幸福感)、自分が何者だったかも思い出せなくなる。この時、自分という人物、左脳の思考というものが『膨大なエネルギーを要するたくさんの怒りと、一生涯にわたる感情的な重荷を背負いながら育ってきた』ことに気付き、左脳の死に大きく救われた気がしたという。

 ならば右脳だけあれば素晴らしいかといえば、駄目なのだ。
 右脳は音や映像の3次元的な知覚が出来ない。目の前の光景の遠近感が分からない。耳に聞こえる音の、雑音と話し声を分離できない。言語能力や記憶に基づく論理的な思考が組み立てられないので、社会生活が送れない。

 要はバランス。
 私達は普段、脳を一つの塊と捉え、二つに分かれている事を考えない。が、頭の中には異なる人格が生じている。
 そして、大抵の人が一方に偏ってしまっている。
 左脳が勝つ人は、常に分析し、批判的、何かをしなければと時間に追われ、柔軟さに欠ける。
 右脳派は、感性的過ぎて、周囲とほとんど現実を分かち合えず、殆どの時間を上の空な状態でいる。
 日本人は特に左脳派が多いのではないかしら。

 ----------ところで、脳の働きや性格を私達自身が作っていける、どんな気分で人生を送るかを選べる、という魅力的な事も書かれてありましたので、これについては次回書きます!

またひとつ、さよならを言って

 何年前になるでしょうか、懐かしのCM、”ブラウン・モーニングリポート”。
 朝出勤するサラリーマンを呼び止めて、シェーバーを差し出す。「家で髭をしっかり剃ってきたところだから剃れないですよ」と言うサラリーマンにとにかく試してもらう。その外刃を外して白い台の上に出してみると、黒い髭の粉が。「まだけっこう剃れますね」と気恥ずかしそうなリーマン。

 このCMのインパクトだろうか、結婚後にそれまで使っていたシェーバーから買い替える時に、夫は「ブラウンを使ってみたい」と言った。望みを叶えた夫は満足げにシェーバーを握りしめていたっけ。

 以来10年くらい使い続けたブラウンが、今年初めから不調だった。どこかの接触不良らしく電源が入りにくくなったのだ。スイッチオンしてからモーターが動き出すまで時間がかかる。新調しなきゃと言いつつ、つい使い続けて11月、今週になってタイムラグが大きくなった。今日こそ動かないんじゃないかとヒヤヒヤしていたが、外刃も破れ、今が買い替え時とばかり、昨日、家電量販店へ走った。

 今度も夫はブラウンしか見なかった。後継機種を選び、下取りキャンペーン中だったので、これまで使っていた物を持参することにして、家から持ち出す前にさっと外側を拭いていると、突然ググッと寂しくなってきた。

 我が家では私が少しだけ先に起きて朝ごはんの支度をし、夫を起こす時、シェーバーを持って枕元へ行き、「そろそろお時間でござる」と声をかける。夫は寝ぼけ眼で布団の上に座り、シェーバーを頬に当てる。そこへ猫がにゃ~んと寄ってきて、夫のあぐらに乗る。髭を剃っている間だけ猫は夫に甘えていられる。髭剃りが終わり、シェーバーのモーター音が止まると、猫は全てを察し、不満げににゃ~んと鳴いて膝を下りる。夫は立ち上がり、以後慌ただしい支度を始める。
 我が家の朝はシェーバーから始まるんだ、手放す古いシェーバーは夫と私の10年の結婚生活に寄り添ってくれたんだと今更ながらじんときた。

 人だけじゃなく物とも出会いと別れを繰り返して生きなければならないのだなぁ。

違うだろハロウィン

 俺は仏教徒だから関係ねえよ、なんて声も小さくなって、クリスマス、バレンタイン辺りはもう日本に定着した感がある。
 すると今度は、ハロウィン。なんだそれと思ってるうちに、年を追って仮装人口が増え、一大イベントになっている。
 が、私には未だによく分からない。なんとなく馴染めないでいる。
 この違和感の正体が、こないだTVでなまはげを見ていて分かった気がした。
 泣く子はいねぇか、悪さする子はいねぇか。なまはげは閻魔様みたいなものだ。悪いことをするとお仕置きがある、お天道様はお見通し、罰が当たると親は子を諭す。
 ところがハロウィンときたら、おやつをくれなきゃイタズラするぞ。
 はあ? なのだ、私には。
 いい子にしてたらご褒美があるというのがジャパニーズスピリットじゃないかしら。

気付けば同じことを

 時々自分の振舞いが父に似ていることに気付いて苦笑いすることがある。

 2歳年下の弟とは仲が悪くて思春期頃には口も利かないくらいだった。それが大人になると憑き物が落ちたみたいにわだかまりが消えて、しかし照れくさいから言葉少なな付き合いである。だから、何年か前にひょんなことから弟のブログを見つけた時、言い出せなかった。以来時々アクセスし、弟の”いいお父さんぶり”を垣間見ている。

 今朝の記事では、弟が職場の同僚と釣りに行き、持ち帰った魚を自分で捌いたと、テーブルの上の、大皿に美しく盛り付けられた刺身の写真がアップされていた。

 私は大皿の奥に写るグラスに釘付けになった。小ぶりのブルーの切子グラス。グラスの傍には缶ビールがあるから、弟はビールを切子グラスで飲むのだろう。

 実は亡くなった父も小ぶりの切子グラスでビールを飲んでいた。弟のグラスは父のそれとそっくりなのだ。

 弟は結婚して暫くの間「朝ご飯はお茶漬けがいい」と言ったと、最近になって義妹に聞いた。それは父の流儀だった。父の朝ご飯はお茶漬け2杯と決まっていた。子どもだった私も弟も当然同じものを食した。

 冷やご飯をわざわざ用意する。炊き立てしかない時は冷まして冷やご飯にする。そこに玄米茶をかけ、自分でつけた漬物でさらさらと。これが楽しみで父はせっせと漬物を付けた。白菜、水菜や広島菜を塩漬けし、糠床にキュウリやナスを埋め、沢庵も漬けた。冬にスーパーの店先で蕪を見つけると顔をほころばせて、薄くスライスし、刻み昆布、鷹の爪、合わせ酢で千枚漬けを作った。赤蕪やひの菜、すぐき等既製品しか手に入らないものだけは購入した。

 家を出てからの私はお茶漬けを食べなくなったが、そうか弟は…と義妹の話に驚いたのだった。今ではパンを食べたりと、家族に合せて朝食のバリエーションを広げているようだが。

 切子グラス、お茶漬け。弟は私の思いもよらないものを受け継いでいた。懐かしむとかではなく沁みついたものとして。私にはどんな父が息づいているのだろうか。