いきものじかん #3 オヤ離れシッパイ

 特別に考えさせられた出会いがありました。12年前、捨てうさぎを預かった直後に、なんと燕が!        f:id:wabisuketubaki:20180605081448j:plain

 まず。野生動物を飼うことは原則禁止、巣から落ちた雛に手を出すことも許されません。ではなにゆえ我が家に燕が?

 これも迷子として警察に届きました。上記の理由から本来受理されませんが、届けた人の言い分は「道端にいたが近くに巣はなく、とても人に慣れているから、飼っていた人がいて、探しているかもと思って。まだ雛で自力で餌を取れないから放っておけなかった」という全くの善意。ひとまず署が預かったのです。

 しかし燕は昆虫などの肉食です。職員が勤務の合間に世話をしきれません。そこで我が家にお声が。私も「死なせてしまったらこめんなさい」と断って受けました。

 なるほど人を怖がらないどころか手に乗ります。急いで家の外で、ダンゴムシと蟻を数匹捕まえてきて、恐る恐るピンセットで喉へ。食欲はあります、食べてくれます、これなら助けられるかもと、夫と相談し、急いでホームセンターのペットコーナーでミルワームを買ってきました。アイスクリームカップ大の容器におが屑と共に詰められた2㎝長の芋虫みたいなのです。

 以後、虫を燕の口へ運び続ける日々が始まりました。雛が衰弱しないよう、沢山食べてくれると嬉しい。早く大きくなあれ。その一方で、蠢く虫には慣れるものではありません。それに、虫だって生きているのです。その命を、我が子可愛さ、燕可愛さに、犠牲にし続けているのです、一日に何十匹も、来る日も来る日も。まるで鬼子母神。私は地獄に落ちるだろう。それでも構わない、せめてこの子を野生に返すのだ。

 季節は夏へ向かっています。同級生たちは巣立っています。秋には渡りが控えている。自力で餌をとるトレーニングをと、これも餌用に売られている小さいコオロギを買ってきて、箱の中に燕と入れました。野生の本能でしょうか、燕は足元を跳ねるコオロギを追いかけ、啄み始めました。

 しめしめこれなら… そう思った矢先、アクシデントに見舞われました。燕の目の、瞬幕が半分出たままになりました。これでは餌が見えません。ダメもとで獣医さんへ連れて行ったところ、ビタミン不足と診断が。粉状のビタミンをまぶしてミルワームを与えると、有り難い事に数日で治りました。

 しかし、この数日で、燕はすっかり過保護の甘えん坊になってしまいました。動くコオロギを怖がり、口元へ運んでやらないと食べないのです。夏が終わろうとしていました。もう外で燕をほとんど見かけなくなり、餌のトレーニングも間に合わず、体力が落ちたので渡りにも耐えられません。我が家での越冬決定です。将来が不安でなりませんでした。 (続きます…)

いきものじかん#2 救い?掬い?

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 私達夫婦が最初に向かえたのは亀でした。

 18年前、夏祭りの夜店に亀掬いが出ていました。水の中に500円玉大のミドリガメがうじゃ~と入れられ、あぷあぷもがいているのが可愛くて可哀想でした。

 1回500円、5匹掬って1匹貰える。夫は器用です。やれば連れて帰ることになる。

「亀は長生きだからな」「どれくらい?」「30年くらい。それに大きくなる」「どれくらい?」「20㎝以上」

 責任をもって飼えるのか迷いながら祭り会場をぐるぐる30分きっかり歩き回りました。そうして出した答えは「この子と定年退職のお祝いをしよう」、当時私達は30歳でした。夫は途中でポイを亀の鋭い爪に破られながらも7匹掬い、目を引いて元気そうな子を1匹貰って帰りました。

 こうして我が家に初めての仲間がやってきたのですが、生き物に向き合う姿勢には人間性が出るなとつくづく思いました。私はアバウトで、テキトーな水槽に入れて餌をあげればいい程度に考えていたのですが、夫はまず帰りに書店で亀の飼い方関連を3冊買い、翌日はホームセンター3件はしごで水槽、水質改善剤、砂、ブクブクポンプ、甲羅干し用の浮島、餌類数種、他にもアレコレ…2万円ほど使ったでしょうか。真剣にグッズを選ぶ夫に呆れながらも、「この人はきっとこんなふうに子育てするんだな」と感じました。

 亀は「ぬす吉」と名付けられ、半年後に雌と判明しますが後の祭り。今は小ぶりな湯たんぽ大です。

 ミドリガメの正式名称はミシシッピーアカミミガメ、外来種です。近頃テレビ番組の「池の水を抜く」企画で、日本古来の在来種を駆逐するヒール扱いですが、悪いのは人です。数十年前から手軽なペットとして売られ、余り知識もないまま飼い始めたところが、大きくなってきて飼いきれず、身近な水辺に捨てたのが繁殖しているのですから。
 日本に昔から住む石亀やクサガメはとても温厚ですが、ミドリガメは俊敏で時に獰猛です。後ろ足が物凄く逞しいのです。その訳は、ミシシッピー川でワニや鷹から狙われる為、強力なキックで水中を逃げなければならないのです。いじらしい。

 「ぬす吉」と一緒にいた子達はその後どうなったのでしょう。「ぬす吉」だってあまり良い待遇を受けているわけではなく、申し訳なく思っています。そしてその邪気のない生き様に心が洗われる。救われたのはたぶん私達夫婦のほうです、きっと。

いきものじかん #1 動物はモノ扱い 

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 今日は朝から昼過ぎ迄うさぎのお腹や背中のマッサージを行っていました。どうも体調がよくなさそうだったので。

 うさぎは時々うっ滞を起します。換毛期に毛繕いで大量の自毛を飲み込み、腸が働かなくなります。平たく言えば便秘ですが、時間との勝負、命にかかわります。いつも通りにごはんを食べず、動きが少ないと思ったら即手を打たねばなりません。

 獣医さんに駆け込むのが無難ですが、我が家のうさはミニウサギ、比較的丈夫な雑種です。年に1回あるかないかですし、これまで私がお腹をさすって治まりました。

 今回も事なきを得ましたが、ちょっとドキドキでした。高齢だからです。平均寿命8~10年と言われる中、我が家の「ゆさ」は12歳を迎えました。ばんざ~い!

 お誕生日は3月頃と思われますが、定かではありません。捨てうさぎだったからです。掌に乗るほどの赤ちゃんうさぎが箱に入れられ公園に置かれていたのが、警察に届けられ、保護されました。保護と言いましたが、正確には拾得です、つまり落し物です。持ち主など現れる筈もなく、警察署ですくすくと成長し、知人を介して我が家が引き取ったのが5月末でした。

 実は初めはうさぎを引き取るのが嫌でした。飼ったことがなく、私の知るうさぎは小学校の飼育小屋で虚ろな目をして隅にいて呼んでも来ない、金網の隙間からハコベを差し出しても無表情にもそもそ食べるだけ、匂いがキツイ。どうせ飼うなら犬か猫、鳥がいいと粘ったのですが、行き場がなくてこのままならサッ処分だと夫が言い、渋々でした。殺されるくらいなら、我が家で暮らせばいい。なあに大きいハムスターさ。それくらい嫌でした(笑。

 ところがどっこい!!

 大らかで天真爛漫、いつも上機嫌、清らかな魂、まさに神様の遣いでした。 

 いるだけでただただ有り難い。大病もせず、長生きで、本当に親孝行です。

 

 ちょっと保護動物について。我が家はうさぎをきっかけにその後も動物を引き取ってきました。燕1、インコ6。迷子として届けられ、飼い主が見つからなかった子達です。

 例えばあなたが迷い動物を警察へ届けたとする。そこで「動物愛護法でいきますか、拾得物法でいきますか?」となります。落し物扱いは酷い、愛護法のほうが・・・となりますが、さにあらず。愛護法とは聞こえはいいが飼い主がいない場合はサッ処分して下さい、ってことです。拾得物法を選ぶと、6カ月でしたっけ、落とし主が現れないとあなたのものになる、つまり引き取らねばなりません。救いのないのが現状です。

 愛護法で警察署に置いてもらえるのは原則1週間です。それはあまりに可哀想だと、多くの警察署では数か月飼育しながら署員や知り合いで引き取り手を探します。

 そのようにしてうちへ来た子達。不憫です。ある日知らない家に連れて行かれる。それまでいた家、家族のもとへどれ程帰りたかろうかと思うと泣けてきます。もし飼っているペットがいなくなったら、どうか全力で探してあげて下さい。張り紙、警察への問合せ、あらゆる手を尽くしてあげて下さい。

 

 現在、亀1、うさぎ1、インコ4、猫1、夫婦2人暮らしなのに我が家は賑やかです。人間の子育ての何十分の一か何百分の一かもしれませんが、未熟な私にいろんなことを教えてくれます。

 「ゆさ」の黒くて丸い目を見つめる度、「よく来てくれたね」という思いが湧き、涙が盛り上がってきます。

こなれていく時間

 調味料でこうも違いが出るものかと驚いている。
 今月初めに亡くなった義父の使いかけのあれこれを持ち帰った。普段私が買わない味のドレッシングに新鮮な驚きを感じたりして楽しんでいたのだが。
 切干大根を炊くのに、出汁の素とお醤油を拝借し、味見をしてビックリ! 味が分からない。甘みは効いているのに、ふんだんに入れた筈の出汁の風味もしないし、お醤油の塩気もまるで足りない。追加してもどこかへ消えちゃう感じ。幾度か繰り返したものの、味が決まらない。どう直していいのか分からない。ともかくも入れるべきものは入れた。正しくさじを投げた。そのまま食卓にのぼらせ、次第を話し、夫と箸を伸ばした。口に入れ、夫と顔を見合わせた。
 ふしぎな事に翌日には味が落ち着いていた。使った調味料を改めて手に取った。
 義父は人工透析を受けていたのと高血圧だったことから、出汁の素もお醤油も減塩タイプだ。これなら普段より体に良さそう~なんて意気揚々と使ったのだった。
 料理があまり好きではない私にも、我が家の味付けが出来上がっていた事を思った。結婚して20年余の日々は流れたのではなく、積み重なっている。

自分のことを人前でなんて言う?

 オチのない話なんですが、こないだから義父の事を書いてて、ふと。
 義父は「ワシ」だけど、私の父は「ボク」だったな、と。考えてみれば亡くなるまで、85歳になっても「ボク」だった事を思うとなんだか可笑しい。
 夫が言う。
「それはお父さんが京都の人だからじゃない? 浜村淳さんもだよ。子供の頃から「ボク」と丁寧な言葉を使うように教えられたって」
 ふーん、そうなのかな。父のそれはちょっと見栄張りのボンボン気取り気味。
「アナタは「オレ」か「自分」でしょ。弟は中学生くらいから突然「わい」と言い出したの、不思議だったな」
 なぜそうなのかは分からないけれど、弟の「わい」は照れ隠しっぽかった。そこには自分のことを話す弟の、伏し目がちの小さい笑顔がセットになっている。そうだ使い始めたのはちょうど思春期だ。
 私は「ワタシ」。「ワタシ」「アタシ」、女性にはバリエーションが少ないな、なんて一人称について調べると、女子でも「あたい」「わて」「うち」等々色々ある。
 気がつくと既に使っている、自らを語る言葉を私達はどうやって選んだのだろう。