いつも心にヒーロー

 何年も前だ、朝の洗面所で夫がつぶやいた。
「くそ、人をカプセル怪獣みたいに使いやがって」
「かぷせるかいじゅう…?」
「知らんのか? カプセル怪獣というのはやなぁ、ウルトラセブンがピンチの時にケースからカプセルを取り出して…」
 ここで夫はシガレットケース大の物の中から何かを摘まむ仕草をした。
「えいっと空中に投げる。すると中から怪獣が出て来て代わりに戦ってくれるんや」
「え~知らないよぅ、そんなの」
 で、PCで検索したりするうち、肝心の夫の呟きの意味を聴きそびれてしまった。
 又いつかの冬の朝、出勤前にスクーターのエンジンをかけた夫がじれったそうに。
「こう寒いと、アイドリングに3分は掛かるな」
 エンジンが傷むと言って、夫はスクーターも車も暖気を欠かさない。
「3分くらいすぐだよ」と私は取り成そうとした。すると、夫は勢いをあげた。
「何言ってるんだ、3分あったらどんだけのことが出来るか」
「え…と、カップラーメンが出来上がるね」
「それどころじゃない、ウルトラマンが怪獣を倒して地球を救えるんだ」

「アナタの名言は朝生まれることが多いね」
と私はふと思い出して、洗面所で歯ブラシを握る夫に投げかけた。
「なんだ、どっちもウルトラマンネタじゃないか俺の話は」
 誰でも子どもの頃に大好きで、人生の根幹の一部を成しているような漫画やTVがあるだろう。私は『リボンの騎士』、夫は『ウルトラマン』。
 昨日夫と海洋堂の作品展を見てきた。フィギュア製作では日本一の集団だ。
 乗り物から人形、雑貨に郷土玩具、ありとあらゆる物の原型がずらり。少し前に夫婦で大人買いしたチョコエッグの動物たちを懐かしみ、人と同じサイズに作られたバルタン星人を撮った。

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ヨキカタワレデアリタイ

 週末は快晴だった。いつものようにスクーターに二人乗りで出掛け、回転寿司でお昼を食べて、帰りは上り坂、連なる六甲の山並みを夫が仰ぐ。
「ええ天気やな」「うん」
「新緑がきれいやなぁ」「ほんと」
「ほんまにええ天気やなぁ」「うん」
 夫の感動に対し、私のはうわつらな返事だったと、二日も経って雨音を聞きながら思い返した。だってあの時私は共に過ごす休日ののどかさにぼーっとなってたから。

 ようやく気付けるほどに細い月を駅前のロータリーで見上げた。住宅街に新設された小さな駅だ。そこからホームが見える。電光掲示板の点滅も、夫を乗せた電車も。
 私がスクーターのシートの下から夫のヘルメットと手袋を取り出すうちに、夫は傍までくる。可笑しいと自分でも思うけれど私は未だに照れくさい。夫の「ただいま」に「おかえり」と返しながら下へ逸らした私の目を、おとといの夜の夫は、覗き込み、もう一度「ただいま」と言う。だから私ももう一度「おかえり」。
 鞄をシート下に納め、ヘルメットを手に夫がこんなことを言いだした。
「朝出て夜帰ってくるだけでもこんなにほっとするのに、ペンギンの夫婦は嬉しいやろうなぁ」
 交代で片方が遠い海へ餌を食べに行き、もう片方は雛を守りながら待つ。その間数か月。再会時には向かい合い、喉を反らせて高らかに鳴き合う。いつかのTVで見た。
 それを引き合いに出され、また照れくさくて私は話の向きを変えた。
「帰れなくなったペンギンの片割れ、可哀想だったね」
 言うそばから泣けてきた。
 海でシャチに襲われ、怪我を負い、帰る途中で力尽きたペンギンがいたのだ。その片割れは何も知らず待ち続け、子共々餓死することになる。
 夫が倒れれば妻も。悲し過ぎる運命だが、共に生きる夫婦の潔さ、というようなことを、家へと走り出したスクーターの夫の背中で思っていた。

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親も昔は子ども~1粒で2度美味しい

 授業参観、親に来て貰ったのは1回きりだったのか。小学2年の国語の授業。覚えているのはこの時だけだ。
 母が亡くなったのが私の小学校入学の3か月前。狭い町内で若くして病死した母の噂を知る人は多く、父や私に憐みとちょっぴり好奇の眼差しを浮かべた。父はそれが嫌で、また40余年前には参観日に来る男親は殆どおらず目立つからと来なかった。
 父の気持ちは子どもなりに分ったが、やはり私は子どもだから、来て欲しくなった、他の皆みたいに。それであの朝は何度も頼んだ。父は必ず行くと約束してくれた。
 参観授業は午後だった。給食が終わると、ぽつぽつとお母さん達が教室の後ろに並び始めた。扉口に人影が立つ度振り向くが、父はまだだ。そのうちお母さんでひしめいたが、父の姿はない。授業が始まった。あれ、あれれ…いや私が見つけられないだけだ、誰かの陰になって。だって、約束したもん。
 父に良いところを見せたくて、私は何度も手を上げた。何度も後ろを見て先生に注意された。そうして時間が過ぎて行った。終わると後ろへ走っていって父を探したが、三々五々帰っていくお母さん達の中に父はいない。来なかったのだ。約束したのに…。
 目に涙をためて家に帰り、父の顔を見るなり、地団駄踏んでひっくり返って泣き喚いた。すると父は言った。
「お父さん、行ったで」
「うそやっ」
「ほんまや。お前、本読む声小さかったぞ。お父さんいつも言うてるやろ、大きい声で読めって」
「…おらんかったよ」
「後ろのドアの外から見てた」
 時間ぎりぎりに来ると、中は既にお母さん達でぎゅうぎゅうだった。それに。
「じろじろ見られるのが嫌で、よう入らんかった」
 父は来てくれていた。約束を守ってくれた。もう十分だった。そして父が可哀想だった。だから私は宣言した。
「お父さん、もうこれからずっと授業参観には来なくていいよ。お父さんがいてもいなくても、いつも通りにちゃんと頑張るから」
 以来、父は来なくなったが、私はちっとも寂しくなかった。

 ところで、父はどう思っていたのだろう。
 これまでは子ども側から振り返るだけだった思い出のひとつひとつに、この年になって、子育て中の方のブログを読ませて頂き、親側の胸の内へ思いを馳せることが出来る。新鮮な喜びだ。

立ち止まったままだ、良くも悪くも

 メイクをするのは昨年6月の甥の結婚式以来、10カ月ぶり!
 鏡を覗き込みながら手順を思い起こす。仕事を辞めて一番嬉しかったのは化粧しなくていいことかもしれない。それほど嫌いなのだ。マスカラがカピカピに乾いてしまっていた。塗れない。それすら、後でメイク落としが楽だ~と思ったほど。いいさ、今回はレッスンなんだから。
 昨日は、ブライダル司会の仕事を頂いていた事務所を訪れた。間もなくデビューする司会者さんのレッスンを、先輩から頼まれたのだった。
 引き受けたものの、仕事を離れてもうすぐ丸2年、忘れているんじゃないかと不安を抱えて降り立った午前11時の大阪の繁華街は、神戸とは違うエネルギーに満ち溢れている。毎週通っていた頃にはこんなこと思わなかったのに。関節の炎症が強めに出ていたこともあって、気おくれごとエレヴェーターに乗りこんだ。
 が、生徒さんを前にしてみれば、自分自身にブランクを感じなかった。
 錆びついていなかった。安堵が心を上気させる。レッスンを終えて駅へ向かう午後の道は心地よく気だるい陽気に輝いていた。そういえば行く時には痛かった首と肩が楽になっている。緊張感をもって暮らさないとダメなんだなと実感した。

お使いが遅かったワケ

 小学生時代のお使いの思い出話になった、夫と。
 私は父に命じられ、豆腐を買いに行った。その帰りにレジ袋をすとんと落としてしまった。豆腐は容器の中で崩れていた。それを父は「こんなもの使えるか」と怒りをあらわにした。
「でも子どものそういう失敗って怒っちゃいけないと思うの。そこへいくとアナタのお母さんは怒らないよね」
「うんお袋は怒らないなぁ。マーボ豆腐にするつもりだったとでも言いそうだ」
「いいお母さんだったよね。あ、あの話聞いたことあるよ、アナタをお使いに出したら1時間半も帰らなくって…」
 これも小学生時代、義母はお醤油が足りなくなり、夫にお使いを頼んだ。が、待てど暮らせど帰らない。これが初めてのお使いでもない、何かあったのかと心配極まりきった所へ、夫がへとへとになって帰ってきた。聞けば、義母が普段行く商店街やスーパーを3軒回り、「これが一番安かった」と胸を張ったという。「まあ、ありがとうね…」安堵のち苦笑い&感激の義母。
「遅いっ、て私だったら怒っちゃうかも。だって今欲しくて頼んだのに」
 この話をしてくれた時の義母は、「調味料とかお野菜とか頼むと、あの子ね、”それは何に使うの?”って訊いて行って、その用途に合うものを自分で選んでくるのよ」と、誇らしげだった。
 夫は母親に一生もののお駄賃をいっぱい貰って大きくなったんだな。f:id:wabisuketubaki:20180415111209p:plain