等身大の父が

 今日は義妹と出掛けた。2人きりで会うのは初めて。妹といっても私より年上のしっかり者だ。父が亡くなって半年が過ぎた今頃になって保険証の返納やらに手を付けたら、喪主を務めた弟の通帳等が要ると分かり、義妹が同行してくれることになった。朝から車で連れて行って貰い市役所へ。
 用が済み、ランチを一緒して貰い、話すうち、弟が亡き父と同じセリフを口にすることが知れた。雷親父だった父は私や弟を厳しく叱ったが、その後、シュンとする私達に「分かったならもうええ、もうええから、あっさりせえ」と言った。いつまでも暗い顔しているな、からりと気持ちを切り替えていつも通りに振舞え、ということだ。弟も、小学生の娘を叱った後、よく「あっさりせえ」と言うらしい。
 子供の頃、父のその言葉が有り難かったし、怒りを引きずらない父はカッコいいとずっと思っていた。
 しかし、久しぶりに耳にしたその言葉に、父の側の心情が浮かび上がってきた。
「あっさりせえ」は子への思い遣りよりも、父自身の辛さを消す為だったと思うのだ。
 躾として叱ったものの、しょげかえる子の顔を見ていると後味が悪くてたまらなかったのだろう。
 妻に先立たれ、独りで子育てを余儀なくされた40代の父がそこにいる。

真夜中のミステリ、凸凹夫婦

 真夜中に手の甲をさすられていた。左手の甲を隣で寝ている夫がさすっている。
 なんでだろう。腫れているからか。関節炎を持つ私の手首を夫はこれまでにもさすってくれたことがあるが、今は炎症がそれほど酷くないしなぁ。
 ああ。かさつきを確かめているんだ。気が済んだのか夫が手を引いた。
 桜が開く直前の、寒の戻りの頃に私の手荒れは最高潮を迎えていた。指先のあかぎれに加え、手の甲がサメ肌を通り越してカサブタアスファルトみたいになっていて、慣れっこの私自身もさすがにこれは酷いと思った。それでも水仕事の合間にハンドクリームを塗るのは面倒で、もう数日のことだ、気温が上がれば治るだろうとタカを括っていたら、何かの拍子に夫が私の手の甲に触れ、驚いてざらつき具合を確認していた。
 翌日、帰宅した夫が鞄からドラッグストアの袋を出した。「今すぐこれを塗りなさい」これは効く筈だから、売り場で一番効きそうなハンドクリームだからと、ピカピカした顔で言った。高そうで怖くて値段が訊けなかった。「毎日使いなさい」
 それから数日たつ。効果の程を、私がちゃんと使っているかを、夫は調べたのだ。
 外部刺激から保護し、薬効成分が角質層深く浸透するエクストラプロテクション。夫はこのハンドクリームみたいな人だ。そして私は。実は夫より先に自分で100均のハンドクリームを買っていた。一応、ローズエキス&シアバター配合なんだけどな。

はぐれた蟻、取り返しのつかない事…

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 数年前からネットで知り合った友人と毎年お花見をする。母親程の年上の彼女は博識で、今年は散り始めたソメイヨシノではなく、只今満開のツツジを見せてくれた。
 コバノミツバツツジという小ぶりの可愛らしい花は、兵庫の天然記念物で、古社・廣田神社の広大な境内に2万株も植えられている。花は桜だけじゃないんだなぁとうっとり空を仰げば、そこは花の終わったソメイヨシノの巨木の下だと気付き、少々バツが悪かったり。
 自然の精気をチャージして貰い、清々しく帰りの電車に揺られていると、腕に小さな蟻が一匹這っていた。あらら、連れて来ちゃったか…。仕方ない降りたらどこかへ逃がそう、と小さな袋にそっと閉じ込めた。
f:id:wabisuketubaki:20180404172010j:plain 駅前に大きなサクラが1本植わった広場で下草に乗せた。動き回っていた蟻が、ここはどこだとばかり固まっていた。元の群れに帰れなくてごめん、元気でねとその場を離れた。
 今までにも何度かそんな事があった。が、今日はどうにも気になって『はぐれた蟻』で検索した。
 他の蟻群には受け入れて貰えないらしい。
 そして、孤立した蟻は。
 働き蟻はグループで行動するものであり、社会的動物(人間も)が社会から隔離された時に受ける悪影響が検証されていた。
 孤立すると行動や振舞い方が分からなくなり、休みなく歩き続け、しかも食物を摂取しても完全に消化出来ず、数日で死んでしまうという。
 人も精神的ダメージを受けると食欲をなくしたり、自暴自棄になったりすることがある。同じなのだ。同じだなんて。
 他の生き物にとり時に傍若無人な存在になる人間。私が生きることを許される為に、何か世界の役に立てるよう心掛けるからと、さっき別れた蟻に詫びている夕べ。 

これもものづくりの素晴らしさかと

 思いがけず、20年以上前に自分の親が手掛けた仕事に辿り着けるなんて素敵だよね。
 掘込みガレージのシャッターが壊れた。調子悪かったのが開かなくなった。この家に暮らして8年になる。前の住人から頂いた設備類取説類ファイルにシャッターの領収証が残っていた。平成6年取り付けだから経年劣化も当然だ。
 ネットで申し込んで業者さんに見に来て貰ったら、シャッター幅が規格品より少し広く、巻き取りのシャフトを特注せねばならないという。かつては幅に合わせて作ったシャッターも、今では既製品を当てはめるらしい。頭に相当痛い見積もりを貼り付けたまま、生活の足のスクーターを封じられ、丸々3週間、修理日の待ち遠しかったこと。
 見積もり時と違う職人さんが2人来られた。私は家の中にいればよかったが、余り無関心ぽいのも失礼かと、古いシャフトを取り外した頃に外へ出た。タバコを加えた30代くらいの、けれど貫禄があって、いなせな感じのお兄さんが、外した3メートル超のシャフトを指しながら、
「これ、たぶん俺の親父が作ったもんですわ」と言った。
 驚いた。古い領収書に記載された社名は、そのお父様の仕事仲間だった。受けた仕事の部品注文をお父様へ依頼し、取り付けも行った筈だと。
 しかし我が家が呼んだのは全く別の会社なのに、こんな偶然があるのか。
「そうですね、偶然です。偶然といえば偶然だけど、市内で今、この幅の特注シャフトを作れる職人はウチだけだから、結局はウチに注文が来ることになる」
 そう言って、暮れ始めた空へ紫煙を吐いた職人さんの背後には、黒く艶やかなシャフトが控えていた。今度は息子さんの作ったシャフトにお世話になるのだ。
 工事が済み、引き上げる職人さんに、お父様へのお礼を言付けてお見送りした。

しづ心なく…

 記憶に残る最初の桜は小学校の入学式で見上げた桜だ。f:id:wabisuketubaki:20180330165942p:plain

 校門の傍に何かの石碑と枝を広げた桜の木があって、親たちは代わる代わる子どもをそこに立たせて写真を撮った。「はいこっち向いて…チーズッ、あ目瞑った」とか言われても、眩しくて。

 春に三日の晴れなしという諺は今年に限っては当て嵌まらず、連日気持ちのいい好天で、近所の桜名所は平日にもかかわらず賑わっている。花散らしの雨の心配はないが、こうも陽気が続くと、あっという間に散ってしまうのではないかと焦りを覚える。

 昭和50年頃には4月上旬に咲いていた桜も、温暖化が影響してか年々徐々に早まっているようで、近頃は3月下旬に開いてしまう。特に今年は早いような。

  サクラサクラ、ピカピカの一年生をお祝いしてあげてよね。  [今週のお題「お花見」