automatic~生かされてる

 今の家に引越してきたのが7年前で、その翌年からお隣のSさんとお付合い頂いている。母親と同い年のSさんは哲学や摂理に精通しておられ、学ばせて頂く事ばかりだ。
 『私達は生かされているのだ』とは普段から耳にする言葉だが、余り真剣に向き合ったことがなかった。しかし最近Sさんからお借りした本を読んでいて、これまで疑問を持つこともなかった当たり前が不思議な事に思えてきた。
 例えば、心臓は勝手に動いてくれる。私が動かそうと頑張らないでも、眠っている間にも最適なスピードで脈動し、止めようと思っても止まらない。
 健康の為にバランスの良い食事を摂ることは、いかにも自分が努力してなんとかしているようにみえるけれど、たんぱく質を分解吸収し、筋肉を作るという作業は体任せで、私自身は何一つ行ったことがないし、行えない。
 この複雑に高度な自動維持システムが備わった体は、親から授かったが、母親とてお腹の中の我が子の内臓や手足を拵えたことはない。
 尤も私の意思が全く及ばないかというと、多少の造反は可能だ。ご飯を食べないとか、辛い出来事に心が打ちのめされて内臓の働きが狂うとか。しかしこれはあくまで、造反だ。
 原則として、体というのは、私という人間が生涯の活動をする為に与えられたものなのだなぁ。そしてこのシステムを作ったのはやはり神様っていうことになるのか。Sさんは神様とは宇宙の摂理法則の事だと言ってたっけ。
 せっかく借り受けた体なのに、メンテナンスが下手だったようで私は病気を発症させてしまったけれど、それでも体の細胞たちは日々刻々と働き続けて修復を進めてくれている。一年前に足の手術を受け、暫くよろよろ歩いていた。ところが先週、バス停へ急いでいた私は、小走りをしているではないか。こんなにも回復したのだと胸を熱くした。否、言い直そう、こんなにも回復して貰ってありがとうと心が熱くなった、と。

続 お弁当の思い出

 あれあれ、思い返してると心の奥の方の物憂さを連れて立ち上がってくる。
「お弁当って良い記憶がないなぁ、面倒だったのよね」
 中学は給食ではなくお弁当を、父子家庭だった私は自分で作らなけらばならなかった。ただでさえ家事が嫌いなのに毎朝毎朝だから当然おかずは手抜きになるし。
「お袋も、一度凄いお弁当だったことがあるよ」と夫が語ったところによると、1つは白いご飯が入ったお弁当箱と、もう1つにはハンバーグとミートボール、どちらもレトルトらしいのだけが入っていたとか。
「それはなかなかのものだね。その2つは形は違えど同じ物だし、…お義母さん寝坊したか余程しんどかったのかな」
「蓋を開けた時はびっくりしたけど別に、俺、おかずの不満とか言わないんだ、食べられればいいからさ」
 アナタも偉いけど、お義母さんお料理上手だったもの、文句なんかないでしょ。
「俺が中学か高校か、お袋が1週間ほど入院した時に、1度自分でお弁当作ったことがあるんだ。おかず適当に詰めて、卵焼きも作って、よし自分で作れたぞって。で、お昼に卵焼き食べたら”ガリ”って…」
「殻!」
「うん。あの時はがっくりきた、自分で作ったら所詮こんなもんかって」
 うっかり卵の殻を噛んじゃうと、どうしてあんなに心身が縮み上がるのだろう。
「うちのお父さんのお弁当は彩り重視でさ」
 料理が出来た父は、遠足には巻き寿司に出汁巻き卵に飾り切りのウインナーと胡瓜、サンドウィッチを作れば喫茶店で出てくるようなミックスサンド。
「幼稚園の時に作って貰ったことがあったんだけど、いろんな材料が斜め切りに組み合わせてあって、お弁当箱の中がまるで万国旗を集めたみたいでさ、他のクラスの先生まで全員見に来て、囲まれちゃったことがあったよ」
 あれは秋で、母が入院した直後だった。ということはそれまでは母が作ってくれた筈なのに、私は母のお弁当を覚えていない。年が明けてすぐに母は亡くなった。
 給食が皆一様の制服みたいだとすれば、お弁当は私服でその人のその時の状況を表し出してしまうのだなぁ。沢山の美味しかった記憶はボヤけて、ほんの数回のしょっぱかったお弁当だけが妙に強く残っている。
 3年前の異動以来、夫は週に1度ほど、私の作ったお弁当を持って出勤する。願わくば印象に残らないお弁当を作れていますように。

お弁当の思い出

「うわ~~~っコレ見て!!!」と夫にスマホを向けた。ピカチュウ、マリオ、リラックマキャラ弁写真のオンパレード、そのあまりの完成度の高さに二人で唸る。
「こんなん作ってと子どもにせがまれたら大変だ、出来が悪くて”●●ちゃんのママはもっと上手だよ”とか文句言われたら、もう」
「翌日の弁当は■さんみたいに…」
 これは実話である。夫の従姉■さんと、その母●伯母のこと。■さんが中学時代、文句を言った。「他のお友達のみたいに、フルーツを別の小さいタッパーに入れるとか、もっとお洒落にしてよ」そして次の日の昼休み、お友達と机を寄せてお弁当を開いた■さん、血相変えて蓋を閉じた。その様子に、傍にいた友達が、嫌がる■さんを抑えて蓋を取ってみれば、真っ白なご飯の上に海苔で書かれた『バカ』。
 また他日、■さんがついうっかり、おかずのことで文句を述べた翌日、またしても開けた蓋を素早く閉じた。今度は何だと友達も心得たもの、奪い取ってみれば、お弁当箱いっぱいに白いご飯、その真ん中に梅干しが一つ、これぞ日の丸弁当であった。クラス中で大爆笑、その騒ぎに隣のクラスからも見物が駆けつける始末。■さんは二度とお弁当に意見を唱えることはなかった。●伯母、お見事。
 繰り返す、これは実話である。こんな漫画みたいなことあるのね。

ただ好きと伝えたいだけなのに

 考えてて、ひっかかっちゃったらもう駄目だな。
 十年来お世話になっている美容院である。ホットペッパービューティに口コミ投稿を求められれば、この店の魅力を是非伝えたくて、何度か書いたことがある。
 今回はいつも以上の思いがあった。私が担当して貰っている美容師Kさんは産休中の為、Sさんにカットして貰った。Kさんは同僚Sさんを信頼しきっているから安心して任せたが、いつもと違う担当者に対してお客さんのほうがどう感じるかは、やはり気になる所だろう。私はKさんを安心させたくて思ったままを書こうと思ったのだ。
 『いつも仕上がりに大満足です。いつもはKさん、今回はSさんにカットして頂きました。ショートカットだからいじりようのない髪形なのに、「おまかせ」でお願いしたところ、私の髪質や頭の形を考慮の上で、それぞれに違った後頭部のふくらみカーブ、襟足のニュアンス、前髪のカットラインで、とてもキュートに仕上げて下さいます。お二人のセンス、技術の高さに…』
 はたと手を止めた。ここまで言葉を選び選び書いてきたが、どうなの? 私は常々Kさんの技術は素晴らしい、上手いと思っている。普段からノーメイクでダサダサな私だが、カットの上手さは分かるつもりだ。だって施術後の生活の中で、仕上がりの良さはまとまりや再現性で実感できるもの。しかし、だ。専門に勉強したこともない素人の私が『確かな技術』『センス』『腕がいい』『技術が高い』などと評価するのは、知ったかぶりと言おうか、上からの物言いと言おうか、それこそおこがましいのではないか。
 別の切り口で評価を考えてみたが、お店の雰囲気がいいとかスタッフさんがいい人ばかりとか、そんなので美容院を選ぶ人いる?それじゃ意味ないじゃん。カーソルを右上の✖へ滑らせ、サイトを閉じた。
 難しいな。

f:id:wabisuketubaki:20180205161721p:plain

beautiful days

 早めに家を出て、予約時間まで美容院の近くのマクドナルドへ入った。頼むのはいつも決まってストロベリーサンデー。それだけが載ったトレーは軽すぎて頼りない。怖々運んでカウンターテーブルに着いた。ふう。鞄から図書館で借りた小説を取り出し、スプーンでアイスクリームを掬って口に含んでは活字を味わう至福の時間。
 間もなく隣の席に誰か座った。あえて見ないが視界の端に体格のよさそうな男性が。ランチタイムを過ぎた午後2時、店内は空いている。カウンターテーブルは5人掛けで端っこに私がいるだけだ。向こうの端は通路側で落ち着かないにしても、こういう場合1つ空けて座らないかしらと違和感があった。けれど嫌な感じはしなくて、なんというのか、じんわりするものが通い合うような。私は目線を本に落としたまま、隣からのハンバーガーとホットコーヒーの匂いを感じていた。そして、頃合いに本を仕舞い、立ち上がって、隣の人も文庫本を開いていたと分かった。髪に白いものが雑じる男性だった。昼下がりのひと時を同様に楽しむ仲間だったかと胸のうちでふふふと笑った。
 夕暮れが早い。冷えてくる部屋で猫や鳥や兎が待っているだろうと時計を見て、スーパーへ駆け込んだ。カットをいい感じにして貰って、うふふと足が軽い。お魚の冷蔵ケースへ屈む込むと、傍のご婦人のカーディガンからお線香が強く匂った。小柄で白髪がちの肩までのボブ、80歳手前かしら。仏壇に向い、緩やかに弧を描く背中を思い浮かべた。いいな。お線香の匂いが好きになったのは、姑が亡くなってからだ。二七日、三七日と、お経をあげて下さる和尚様の後ろに舅と並んで座っていたのは16年前のこと。読経の声と立ち込める香煙に、法事を重ねる毎に静けさを覚え、四七日、五七日、そして六七日の頃には安らぎがあった。仏壇は夫の実家だ。近頃はお香をかぐ機会が少なくなっている。
 午後9時過ぎて夫を迎えに出て、「欠けてる」と空を指した。皆既月食が始まっていた。「曇り空で見えないかもってTVで言ってたけど、ほら」
 夫は束の間仰ぎ見、素早くネックウォーマーの喉元を直した。夫の一日は今日も寒くて忙しかったのだ。それでも家に入ると「後ろ、短くなったね」と私の変化に目を留めた。「似合ってるよ」の礼儀も欠かさない。私はそういうのが苦手で照れくさいのを、何でもないふうに「ほんと?良かった、〇〇さんて腕がいいの」と答えて、「すぐにごはんにするね」と台所へ逃げ込み、お豆腐のおつゆのお鍋を火にかけた。
 こんなふうに暮れていく、私の世界の狭さが心底いとおしい。