さざ波ではあるけれど

 今日はちょっと、いやけっこう落ち込んで過ごした。
 前日に私が時計をいじったせいで、夫がいつもの出勤電車に乗れなかった。ずっと6分進んでいた時計が、4分進みになっていたのに気が付かず。あああ、怒っているかな。いつものように帰るコール(ライン)をくれるだろうか。夜、謝らなきゃ。その文言をずっと考えては凹む。
 こんな日もある、か。
 亡き父の姉である伯母と、昨日と今日電話で話せて、来週伺う約束をした。お目にかかるのは20年ぶりで、緊張とワクワクと。
 野良の三毛猫を先日の超大型台風以来見かけなくしまった。三毛がいつも蹲っていた近所のマンションの建つ角を、通る度辛い。
 スーパーマーケットで献立が決まらず、売り場をぐるぐるぼんやり堂々巡り。締めくくりのお八つコーナーで、苺大福がお買い得になっていて、夫と私と1つずつの2つをいそいそカゴへ入れた。
 さて。もう1時間ほどすれば、夫が帰ってくる。f:id:wabisuketubaki:20171115184037p:plain

あした天気になあれ

 今日は雨降り。桜の赤い落ち葉が濡れそぼってアスファルトに貼りついている。昨日までは踏むとぱりりとポテトチップスを噛んだような音が楽しかったのに。
 夏が済んだ途端、来年の手帳が店頭に並び、年賀状やお節の予約承りの文字がそこここに。今年もあと47日とか言われて焦る。とりあえず直近に片付ける用は何だっけとカレンダーの書き込みを確かめる。自分が仕事をしていない今、夫の勤務表で毎日が運航していく。
 今日は何月何日か。父の認知症は軽かったけれど、やはり分からなくなっていた。そのくせ、いや以前にもましてカレンダーに固執していたように思う。数字が黒々と大きなカレンダーを壁に貼る。カレンダーを切り離し、3か月分くらいを横並びに貼っていた。ある時、土日祝を示す赤字が週のど真ん中、平日のところにあるのに気が付いた。ふしぎに思って見つめると、日付を切り取った紙が貼られているではないか。そこだけじゃない、何か所も紙が貼られている。別のカレンダーの日付を切り取って使ったのだ。驚いて私が「曜日が可笑しいじゃない」と言っても、そうかと笑っている。その後もコラージュのようなカレンダーは作られ続けた。
 実はショッキングなことがあった。一時、認知症状が強かった頃だ。白紙に父は自分で数字を書いてカレンダーを作っていたのだが、1カ月が35日まであった。怖かった。父が壊れたと思った。
 80歳前後にもなって、仕事から離れて久しく、施設で穏やかに暮らしていた父になぜカレンダーが要るのかと今になって考えてみる。本来はまず現時点の確認か。そこから先を見通し、予定を立てる為。或いは遡って辿る。とすれば。自分の在りかがあやふやで不安だからこそ、なのか。
 そういえば小学生だった私もカレンダーをよく作った。白紙にサインペンや色鉛筆でグリッドを引き、数字を書く。別に習い事や遊びに行く予定もなかったのに作れば満足だった。これから埋める。何をしようかとわくわくするのは今も変わらないな。あ、じゃ85歳の父も同じだった?f:id:wabisuketubaki:20171114142855p:plain 

刻まれた遺産

 猫だけでなく我が家にはウサギとインコとカメがいる。ウサギやインコに接していて時々苦笑いしてしまう。例えば、うさぎを部屋へ放して遊ばせる時に「うりゃうりゃうりゃ…」などと言いながら追いかけっこしたり、インコを手の中に包んで撫でている途中にインコの背中に唇を当てて「ゔゔ~~~こりゃかわいいちゃん、ゔゔ~~~~」と低く響かせるように息を吹きかけたり。こういうのは、丸っきり父のやり方だ。別に真似るつもりもないし、どちらかといえば真似たくはないのに、つい出てしまう。
 父は生き物好きだった。団地暮らしで大好きな犬は諦めざるを得なかったが、代わりに常に文鳥を飼っていたから、私はずっと父の生き物との関わり方を見て育った。それが出てしまうのだ。
 小さな子どもをあやす時のしぐさなんかも同じ。親に似るというのは、生物学的な事だけではないのだとつくづく思い知らされる。
 数年前から、こういうことも感じていた。台所の流しに立って、コーヒーカップにお湯を注いでいる時、目の前の自分の手の所作が、父のそれとオーバーラップしてハッとなる。手の形なんか私は母親似で、父とは全く違う。なのに、まるで父が私の体に乗り移ってコーヒーを淹れているような感覚の中で、自分の手の動きを見つめる。幼い頃から見ていた、流しに立つ父の背中がはっきりと浮かぶ。パジャマの上に冬は臙脂のチェックのガウンを着ていた。寒がりで分厚い靴下をだぶつかせた足元も。
f:id:wabisuketubaki:20171113113351p:plain 冷えが強まってきた。部屋履きの靴下を厚いのにしよう。

父に最後のイタズラ

 友人から早々に喪中はがきが届いた。私もいよいよ急がなくてはと焦った。毎年の年賀状は私が我が家の動物たちをイラストに描いてスキャンで取り込んで作るが、ああ今年は作らなくていいんだ…そう思うと、寂しいようなほっとするような。さてと、集めておいた喪中はがき注文のパンフレットを眺めていて、あ、喪中はがきも自分で、と思い立った。
 どうせなら湿っぽくない、ほっこり温かくなるような。試しにペイントソフトを起こしマウスで…喪中はがきにカエルは前代未聞だな、亡くなった父へ最後のイタズラだ。f:id:wabisuketubaki:20171112105433p:plainf:id:wabisuketubaki:20171112100149p:plainそれにしてもマウスで絵を描いたの初めて。アラフィフになったって何でも出来るもんだ。自分を縛るのは自分、という言葉はまったくもって正しい。

待っててくれる

 明るくなるのがめっきり遅くなった上に、今朝は雨降りで尚更暗かった。薄闇の中を黒い傘、黒い上着の夫が歩いていく。振り返って手を振って角を曲がっていった。私は振り返した手を下ろしながら、ふいに考えてしまった、なぜ姿が見えなくなるまで見届けるのだろう、と。ロボットなら別れてすぐに踵を返すのだろうか。なぜ今朝はそんな事を考えるのだろうか。いつもしている、当たり前の事の筈なのに。これは、あの感じに似ている。ほら、字を書いていて突然その字がこんな字だったっけとコンガラがってくる…そう”ゲシュタルト崩壊”だ。
 ふうと少し息を吐いて、門扉の内へ収まり、玄関でサンダルを脱いで、電灯のスイッチへ手を伸ばしたものの、消さなかった。もし夫が忘れ物か何かで引き返してきた時に、つい今まで明るかった玄関が暗かったら、自分が出かけたらさっさと家が外の世界を遮断したように感じないだろうか。念の為に、玄関のオレンジ色の照明と、白っぽい門灯をそのままにした。数分だけ、これは私自身の気休め。
 私が仕事をしていた時、夫の休みの日に出掛けるのは嫌で、グズグズと靴を履いていると、夫は必ず「早く帰っといで」と送り出してくれた。
 大学時代、実家から1人暮らしの下宿に戻る時には、やはり玄関先で父が。
「早よう帰っといで」
 そう言われると、ほっとしてバス停まで駆けていけたっけ。